【ミズノ五輪水着問題】競泳日本に危機を招く契約終了
北京オリンピック開催を半年後に控えたこの時期、メダルラッシュが期待される日本競泳陣に赤信号が点滅している。
4月21日から26日まで、競泳日本代表が東京・北区に今年1月にオープンしたナショナルトレーニングセンターで、第1次合宿を行い、世界記録を連発しているスピード社(英国)の水着を試着したところ、軒並み通常のタイムを上回ったことが24日、分かった。
しかもそのタイムが、報道によれば「スタートの15メートルで通常と0.5秒も違う選手がいた。100メートルで0.5秒、200メートルで1秒上がるイメージ。これまでの水着とは、まったくの別物」(平井伯昌コーチ=東京SC=)というのだから、外国勢に「こんなのを着られたら、たまらい」(同コーチ)。
もしこのスピードの水着を日本代表が着たとすれば、メダルの数が確実に変わるという。
先の日本選手権で、五輪3位以内に相当する派遣標準記録Sを切ったのは北島工康介選手の平泳ぎなど5種目だけだが、スピードの水着を着て100メートルで0.5秒、200メートルで1.0秒短縮すると仮定すれば、13種目で派遣Sを破ったことになるという。13個もメダルを取れるとは思はないが、メダル争いに加わるだけでも、その効果は絶大だといわなければならない。
ところがこのスピード社の水着、日本でももちろん手に入るが、日本代表チームは使用できないのである。
なぜかというと日本水連の公認メーカーがミズノ、デサント、アシックスの3社だからである。ここにスピードの名前がない。しかし「SPEEDO」のブランドは、「arena」(アリーナ)と並んで日本ではかなり普及しているはずで、日本水連がこれを公認しないはずがない。
実は水連はスピードを公認していたのである。それは、ミズノが長年にわたりアジア地区のSPEEDOブランド商品の企画・製造、販売を許されたライセンシーだったので、水着に関してはミズノを公認するということは、スピードを公認するということだったのである。
ちなみに、ライバルのアリーナのほうはデサントが1965年からアジア・北太平洋地域のライセンシーとなっているので、水連はデサントを公認している。したがって、2007年の水連公認をミズノ、デサント、アシックスの3社にしたことで、水着問題は何も起こらないはずであった。
ところが、2006年に創業100周年を迎えたのを機に自社ブランドの強化を打ち出したミズノが、2007年5月末、スピードとのライセンシー契約をあっさり終了してしまった。
同社は、契約終了後、自社ブランド「ミズノスイム」を立ち上げ、スピードの水着を使っていた北島康介選手や寺川綾選手らの契約は、ミズノに引き継がれた。そしてスピードのほうは、三井物産が日本国内のライセンスを取得し、ゴールドウインが物産から受託する形で商品の開発、販売を行っている。
これら一連の契約変更によって、日本水連公認のブランドから肝心のスピードが抜けることになってしまったが、問題はどうして2008年型の新しい水着が発表される時期、それも北京五輪には最も重要な時期に、なぜミズノがスピードのライセンシー契約を終了したかである。
この時期のミズノがスピードのライセンシー契約を終了すれば、日本選手がスピードの水着を使用できなくなることは明白である。
それを百も承知でミズノは契約を終了させ、自社ブランドを立ち上げた。これは自社ブランドを立ち上げるためには絶好のタイミングかもしれないが、仮に日本水連との契約に違反がないとしても、道義的に日本国民に対する裏切りではないか。自社のビジネスを成功させるために、みすみすメダルのチャンスが失われることを、ミズノはスポーツ用品メーカーとして何の呵責の念も抱かないのであろうか。
日本オリンピック委員会(JOC)副会長でもあるミズノの水野正人会長は、4月初めに、中国国営通信の新華社の女性記者の取材に、「食品の安全は日本国民が少し心配しているだけで、最も心配しているのは五輪の入場券を買えないこと」と発言。
中国製のギョーザ中毒事件が未解決のさ中、国民感情を無視した発言と批判されたばかりである。どうも同社の経営には、日本企業らしい血の通いが感じられない。
それに、これは日本水連側にも何らかの問題があるのではないか。
もしこの時期に、公認メーカーのライセンス相手が勝手に変えられるなら、それは契約内容自体に欠陥があるとしか思えない。またそうではなく、ミズノが暴走しているというなら、それはそれで何らかの善後策を早急に打つ出すべきである。いまになって、「メーカーよ、なんとかよい水着をつくってくれ」では、あまりに甘い対策だし、無能すぎる。その原因と責任は厳しく追及されなければならない。
狭い業界なのだから、日本水連には、この重要な時期のミズノのライセンシー終了はそれなりの情報が入っていたはずである。それにもかかわらず、ミズノの新ブランド立ち上げを黙認していたのは、同社と北時康介選手らトップ選手の契約があるので、水連としてもそれなり配慮があったのではないかという見方でている。
その真偽はもちろん定かではないが、そうした不信感を拭うためにも、日本水連はミズノにいらぬ配慮することなく、記録が出るスピード社の水着を代表が使用できるように柔軟に対処するべきである。
もしそれができないようであれば、日本競泳が惨敗したときには、その責任の追及は免れないのではないだろうか。
【団塊世代の退場】個性派世代の登場
作家の堺屋太一氏が1976年に発表した小説『団塊の世代』に初めて登場したといわれる団塊(だんかい)世代。戦後の、第1次ベビーブームで生まれた世代のことで、良し悪しは別にして彼らは約60年間、日本の消費市場の主役を演じてきた。
1947年(昭和22年)から1949年(昭和34年)の3年間に生まれた団塊世代が60歳の定年退職の時期を迎え、社会の第1線から退場するのが、2007年から2010年である。
今年はまさに2008年、彼ら団塊世代が音を立てて社会の第1線から退場する真っただ中にある。これは明らかに社会にとって重大な事変であるはずなのに、なぜか世の中は、見送るほうも見送られるほうもしらっとしている。涙もなければ祭りもない。あえていえば、最後になって年金問題を持ち出し、またまた世間を騒がせているが、これも見送る世代にとっては、「なによ、いまさら」と白けるだけである。
主役の退場という社会的な大事変が進行しているのに、世の中がしらけているのは、見送るほうに熱烈送別をやろうという意思がないからである。まさか、見送られるほうから派手に送別会をやってくれとはいえない。
それより何より、見送るほうは送別の宴どころのではないのである。主役があまりにも長く社会にはびこり、しかも巨大で影響が大きかったので、その退場のあと片付けで大わらわとなっている。
それは退場の後遺症というべきかも知れない。団塊世代の存在があまりにも大きかったので、そのあと片付けが追い付かないのである。一種の混乱といってもいい。
団塊世代は消費市場の主役であっただけに、特に消費にまつわる経済や文化──、生産、流通、サービス、企画、金融など多岐にわたって退場の混乱を引き起こしている。
たとえば団塊世代は、800万人ともいわれる膨大な人口のため、幼いころから受験戦争を引き起こし、それが特色のない古色蒼然とした大学の安易な長期存続を可能にした。これが今になって、規模の縮小や内容の充実を迫られて、大混乱をきたしている。
学校側は少子化に備えなければならないと騒いでいるが、規模を縮小したり、再編すれば解決するという問題ではない。無名の大学でも、個性的でしっかりした特色の大学が求められているという視点が欠けているのである。
また経済そのものでは、団塊世代は高品質な大量生産品という市場を呼び込んだ。つまり自動車、家電、それに団地、マンションといった住宅などは、高品質なのに量産ができるという商品づくりが市場をリードしてきたのである。
しかし、いまになってこれらの産業は、個性的な高級品づくりという壁に突き当たっている。急にはハンドルが切れないのである。
若者のクルマ離れが進んでいる。日本市場で車が売れないのである。
その理由の一つに、若者がクルマをステータスシンボル(社会的地位の象徴)と思っていないという団塊世代の後遺症がある。団塊世代にとってクルマは、ステータスであった。我もわれもとクルマを求め、メーカーは高品質で安価なクルマを開発しその要求にこたえてきた。
しかし、いまの若者にとって、クルマは無理に購入しなければならないステータスシンボルではない。個性的で、格好のいいクルマなら購入を考えてもいいという程度である。
ところが、メーカーはこの要求に合ったクルマづくりができない。長いことステータスにあぐらをかいてきた影響で、今になって本当のステータス化である個性化や高級化ができないのである。高級な外車は売れているのに、没個性の国産車は、特に安価な軽自動車などの小型車以外は売れていないという現実に苦悩している。
団塊世代向けのクルマづくりの時代が、あまりにも長く続いたせいとしか言いようがない。自動車メーカーは、その後遺症から抜け出せないでいる。
クルマ市場は、下駄(げた)のように徹底的に安価なクルマか、高価でも個性的なクルマを求めている。収入の格差問題が、極端な2極化をつくり出しているのである。
こうした傾向は家電や住宅でも同様である。これら団塊世代とともに巨大に成長した産業は、個性的な商品づくりという壁に突き当たっている。
個性的な商品の開発で名をはせたあのソニーでさえ、いつの間にか量産型の商品を追求する企業に変貌してしまった。しかしこの分野は、今や後発国の突き上げが激しい価格競争下にある。かろうじて個性的なソフトをそろえるゲーム機では健闘しているが、それとて任天堂のようなゲーム専門メーカーに苦戦している。
文化面でも、団塊世代の退場の影響が出ている。その最たるものが週刊誌で、団塊世代とともに成長し、一時代をつくってきた週刊誌は、彼らの市場からの退場とともにその購読者を失い、大幅な販売部数の低下にあえいでいる。
おそらく団塊世代の退場がほぼ完了する3年後には、今日のような週刊誌の大半は、その姿を消すか、形を変えてしまっているに違いない。特に没個性的で総花的な内容の新聞社系の週刊誌や、出版社系でも『週刊現代』や『週刊ポスト』などは行き場を失ってしまうかもしれないのである。
個性的な週刊誌として定評がある『週刊新潮』や『週刊文春』などにしても、とてもこれまでの発行部数は維持できないだろうと思われる。なぜなら若い個性派世代が求めているのは、この程度の個性ではないからである。
出版物でいえば、個性派世代にも支持されているコミックが、それぞれの好みで細分化されているように、これからは週刊誌のような雑誌も個性的なものにならざるを得ない。ところが、雑誌の編集者はそうした編集には不慣れである。というより、長いこと団塊世代を追い続けた影響で、今日の編集部には個性的な雑誌づくりの経験者もいなければノウハウもないというのが現実である。
高品質で大量生産の市場を創出した団塊世代の退場が続く今、そのあとに続くマーケットの主役は個性派世代である。
そしてこの流れをいち早くつかんだ産業や企業だけが、新世代に生き残れるのである。その意味で、今まさにすべての企業が新世代への試練に立たされているといってよい。
【桐朋女子高校】グラビアタレントを退学処分にした見識
写真集の出版を理由にした退学処分は無効だとして、19歳のグラビアタレントが桐朋女子高校を運営する学校法人桐朋学園を相手取り、処分の無効確認を求めた訴訟の判決が2月27日、 東京地裁八王子支部で行われ、訴えを棄却する判決があった。
当然の判決なのだが、同日の6チャンネルのワイドショーで、「有名タレントがいたほうが広告塔になっていいだろうに…」という趣旨のコメントを口にしたタレントがいた。ワイドショーの大勢は、芸能活動をするならそれを認めている高校に行けばいいという意見だったので内心ほっとしたが、このコメントには、裁判が直面した問題の本質が表れているような気がする。
というのは、世間の何割かは中高生徒のタレント化は、決して悪いことではないと考えているという現実である。タレントになって何が悪いのかと考えているのである。
このタレントの範疇には、高校生でプロゴルファーになった石川遼君のような有名スポーツ選手も含まれる。報道によれば遼君は、プロになったことで10億円からの契約金を手にするという。そして遼君が広告塔になったおかげで、母校の杉並学院はいまや全国区の有名校である。
中高生のタレントは、お金を稼いだり、学校の広告塔になったりする貴重な資源だから、決して悪いことではないと考えているのである。
これに対し、中高生徒のタレント化に反対する人たちは、中高生は勉学にいそしむ年代であり、タレント活動は決して好ましくはないと考えている。商業主義の資源というとらえ方など、とても許されるものではない。
グラビアタレントに訴えられた桐朋女子高校は、断固として生徒の芸能活動を認めない方針を貫いた。
訴えたほうのタレントは、明らかに売名行為であるかに見える。というのは、このタレントは裁判中も写真集やDVDを新たに出している。たまたま出した写真集が原因で退学になったというわけではないようである。
また判決後、このタレントは、「(中高一貫校で)5年半も通った学校に戻って卒業したいという気持ちを裁判官に 理解してもらえなくて、とても残念」とのコメントを出しているが、中学から5年以上も在籍していた生徒なのだから、同校がいかに厳しく芸能活動を禁止しているか、校風として身にしみて理解しているはずである。
この裁判は明らかに、学校の方針に挑戦することで名を売っている。本人の気持ちとは別に、売名することで得をする周辺の力が動いているとみるのが普通だろう。
もしそうだとすれば、一部の世間から批判されるのを覚悟のうえで、退学処分を撤回しないで裁判に臨んだ学校側の見識は大したものだといっていい。一時的には、裁判をすることで売名行為に手を貸すことになるだろうが、長い目で見れば桐朋女子高校の毅然とした方針は社会に周知されることになる。
方針がぶれることのない、今どき珍しい学校である。
ただ、この芸能活動を認めないという方針は、桐朋女子高校を運営する桐朋学園すべての学校の方針ではない。
学校法人桐朋学園は国立市にある男子部門、調布市仙川にある女子部門、音楽部門の3部門から成り立っていて、男子部門の桐朋高校は都内有数の進学校、音楽部門は音楽学部の桐朋学園大学としてあまりにも有名である。
その中にあって女子部門は、共学の桐朋幼稚園から桐朋小学校、女子だけの桐朋女子中学校、桐朋女子高校普通科、そして桐朋学園芸術短期大学と、幼稚園から短大までそろっている。そして共学の桐朋小学校の男子は、国立市の桐朋中学校へ、国立市の共学である桐朋学園小学校の女子は桐朋女子中学校へと進学する。
また同じ調布市仙川には、音楽部門の桐朋学園大学音楽学部の下に桐朋女子高校音楽科(共学)があるが、これは女子部門の普通科とはまったくつながりのない別個の運営となっている。
つまり今回訴えられた桐朋女子高校は、厳密には普通科のことで、同名の音楽科とはまったく方針の違う高校である。
したがって、芸能活動を禁じている普通科の方針は、同じキャンパスに隣接する音楽科と一線を画するために、あえて厳密に打ち出しているのかもしれない。
桐朋学園といえばやはり音楽で名をはせているので、外部からは普通校の存在は分かりにくい。
しかし女子部門は、沿革の経緯から「桐」を校名にしていることからも分かるように、旧東京教育大学、現在の筑波大学と深い関係にある。したがってその教育方針はかなり厳格で意欲的。具体的には心身の健康と個性を伸ばすことにあり、進学よりも生徒の活動と実践に重点が置かれている。
良妻賢母型が多い女子校の中で、この女子部門の教育方針は社会性があり、実際に同校の出身者には社会の第一線で活躍する人が少なくない。
その教育の過程で、芸能活動を禁止するというのも、一つの方針として理解できないものではない。私学としては、当然認められるものである。
今回の裁判はむしろ、中高生のタレント化を容認する軽い社会風潮の中で、しっかりした教育を実践する学校が、まだ存在することを示したことに大きな価値がありそうである。少子化時代の中で、あえて商業主義の挑戦を受けて立った桐朋女子高校の見識に敬意を表したいものである。


