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	<title>音羽記者クラブ</title>
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	<description>マスコミ事情、ニュースの裏と表、F1ニュースとクルマ、企業広報、金曜日の恋愛論…を発信！</description>
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		<title>[脱出ゲーム]天和仙人からの試練2</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 07:09:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ki</dc:creator>
				<category><![CDATA[ゲーム]]></category>

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		<description><![CDATA[
脱出ゲーム第2弾です
天和仙人からの試練2
楽しく遊んでみてください
ゲーム制作素人の作品ですのでご容赦ください
おもしろかったらコメントください
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://pub-web.co.jp/game2.html"><img src="http://pub-web.co.jp/wp-content/uploads/2009/11/tenwa2.jpg" alt="天和仙人からの試練2" title="天和仙人からの試練2" width="450" height="340" class="alignnone size-full wp-image-655" /></a></p>
<p>脱出ゲーム第2弾です<br />
<a href="http://pub-web.co.jp/game2.html"><font color="blue">天和仙人からの試練2</font></a><br />
楽しく遊んでみてください<br />
ゲーム制作素人の作品ですのでご容赦ください</p>
<p>おもしろかったらコメントください</p>
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		<item>
		<title>【F1開幕】３強低落の主役交代でトヨタにチャンス到来</title>
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		<pubDate>Thu, 16 Apr 2009 11:30:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ttt</dc:creator>
				<category><![CDATA[F1ニュースとクルマ]]></category>
		<category><![CDATA[時局ニュース]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.pub-web.co.jp/?p=3</guid>
		<description><![CDATA[先月２９日のオーストラリアGPで開幕した今年のF１は、今月５日のマレーシアGPを経て、今週末は早くも第３戦中国GPを迎える。
これまでの２戦の成績は、ホンダ売却の後を受けた闘将ロス・ブラウンが率いるブラウンGPメルセデスが圧倒的に強く、これに唯一トヨタが対抗、昨年までの主役であったマクラーレン、フェラーリ、BMWの３強は中位以下という様変わりの展開になっている。
[２戦を終えてのコンストラクターズポイント]
1.	ブラウンＧＰ	25
2.　トヨタ　16.5
3.	ＢＭＷ	4
4.	ルノー	4
5.	ウィリアムズ	3.5
6.	トロロッソ	3
7.	レッドブル	1.5
8.	マクラーレン	1
9.	フェラーリ	0
10.	フォースインディア	0
その最大の理由が０９年から始まったレギュレーション(規定)　の変更に合わせたマシン開発が遅れたことで、中でも象徴的なのが、車体の下を流れる空気を利用してダウンホースを得るディヒューザーという装置の解釈をめぐる問題。
新しいレギュレーションのマシンでは、空気の力で車を抑え込んでコーナーリングスピードを得るためのダウンホースを得るのが難しく、これにディフューザーを使えるかどうかが大きなカギになる。
開発に出遅れた３強にルノーを加えたチームらは、その腹いせにディヒューザーの利用でダウンホースを得ているブラウンGP、トヨタ、ウイリアムズの３チームを違法だとしてFIA（国際自動車連盟）の国際控訴裁判所に提訴したが、これはまったく笑止な行動。４月１５日には、あっさり合法との判断が下されている。
この裁判の公聴会で、ウィリアムズCEOのアダム・パー氏が「このディフューザーが違法なら、フェラーリとルノーのタイトルも違法」と主張し、さらに「ブラウンGP、トヨタ、ウィリアムズの解釈が違法ならば、フェラーリがここ数年で獲った11のタイトルと、ルノーの4つのタイトルも違法とすべき」と訴えたという。
これはつまり、これまでフェラーリやルノーも同じ解釈してマシンをつくって勝ってきたのではないか言っているのである。今更、出遅れたからといって何を言っているのだ、というわけである。
主役が交代するというのはこういうことで、退場する側は醜く悪あがきを続けるし、登場するほうは颯爽と出てくる。
今年のブラウンGPとトヨタがまさにそれで、ブラウンのほうはあっさり開幕２連勝を決めてしまった。次はトヨタの番で、今週の開幕第３戦、中国GPは颯爽と主役を名乗る絶好の舞台である。
もっとも中国GPがだめでも、次のバーレーンGPからヨーロッパシリーズへと、トヨタ初優勝のチャンスは広がる一方である。
というのも、ブラウンGPは開発資金的にもこれ以上の大きな飛躍は期待できないが、トヨタにはまだまだ開発余力があり、いずれブラウンGPに追いつくとみられているからである。
旧３強らの“出遅れギャング”チームらも必死で新しいディフューザーを開発してくることになるだろうが、テストが制限されている今年は、これが実践で力になるまでには相当の時間が必要となる。トヨタには、初優勝に向けて最高のフォローの風が吹いている。日本人にとって、こんな楽しみなF１の開幕はない。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先月２９日のオーストラリアGPで開幕した今年のF１は、今月５日のマレーシアGPを経て、今週末は早くも第３戦中国GPを迎える。<br />
これまでの２戦の成績は、ホンダ売却の後を受けた闘将ロス・ブラウンが率いるブラウンGPメルセデスが圧倒的に強く、これに唯一トヨタが対抗、昨年までの主役であったマクラーレン、フェラーリ、BMWの３強は中位以下という様変わりの展開になっている。</p>
<p>[２戦を終えてのコンストラクターズポイント]<br />
1.	ブラウンＧＰ	25<br />
2.　トヨタ　16.5<br />
3.	ＢＭＷ	4<br />
4.	ルノー	4<br />
5.	ウィリアムズ	3.5<br />
6.	トロロッソ	3<br />
7.	レッドブル	1.5<br />
8.	マクラーレン	1<br />
9.	フェラーリ	0<br />
10.	フォースインディア	0</p>
<p>その最大の理由が０９年から始まったレギュレーション(規定)　の変更に合わせたマシン開発が遅れたことで、中でも象徴的なのが、車体の下を流れる空気を利用してダウンホースを得るディヒューザーという装置の解釈をめぐる問題。<br />
新しいレギュレーションのマシンでは、空気の力で車を抑え込んでコーナーリングスピードを得るためのダウンホースを得るのが難しく、これにディフューザーを使えるかどうかが大きなカギになる。<br />
開発に出遅れた３強にルノーを加えたチームらは、その腹いせにディヒューザーの利用でダウンホースを得ているブラウンGP、トヨタ、ウイリアムズの３チームを違法だとしてFIA（国際自動車連盟）の国際控訴裁判所に提訴したが、これはまったく笑止な行動。４月１５日には、あっさり合法との判断が下されている。</p>
<p>この裁判の公聴会で、ウィリアムズCEOのアダム・パー氏が「このディフューザーが違法なら、フェラーリとルノーのタイトルも違法」と主張し、さらに「ブラウンGP、トヨタ、ウィリアムズの解釈が違法ならば、フェラーリがここ数年で獲った11のタイトルと、ルノーの4つのタイトルも違法とすべき」と<a style="color: #ff9000; text-decoration: none;" href="http://sports.jp.msn.com/article/article.aspx?genreid=13&amp;articleid=413548">訴えたという</a>。<br />
これはつまり、これまでフェラーリやルノーも同じ解釈してマシンをつくって勝ってきたのではないか言っているのである。今更、出遅れたからといって何を言っているのだ、というわけである。</p>
<p>主役が交代するというのはこういうことで、退場する側は醜く悪あがきを続けるし、登場するほうは颯爽と出てくる。<br />
今年のブラウンGPとトヨタがまさにそれで、ブラウンのほうはあっさり開幕２連勝を決めてしまった。次はトヨタの番で、今週の開幕第３戦、中国GPは颯爽と主役を名乗る絶好の舞台である。</p>
<p>もっとも中国GPがだめでも、次のバーレーンGPからヨーロッパシリーズへと、トヨタ初優勝のチャンスは広がる一方である。<br />
というのも、ブラウンGPは開発資金的にもこれ以上の大きな飛躍は期待できないが、トヨタにはまだまだ開発余力があり、いずれブラウンGPに追いつくとみられているからである。</p>
<p>旧３強らの“出遅れギャング”チームらも必死で新しいディフューザーを開発してくることになるだろうが、テストが制限されている今年は、これが実践で力になるまでには相当の時間が必要となる。トヨタには、初優勝に向けて最高のフォローの風が吹いている。日本人にとって、こんな楽しみなF１の開幕はない。</p>
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		<title>【大相撲「八百長」記事訴訟】裁判に勝っても疑惑は晴れない</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Oct 2008 13:47:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ttt</dc:creator>
				<category><![CDATA[時局ニュース]]></category>
		<category><![CDATA[相撲]]></category>

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		<description><![CDATA[大相撲の八百長を報じた講談社『週刊現代』の記事をめぐり、１０月３日、ついに原告の一人として横綱朝青龍が裁判に出廷、「すべて真剣勝負で、八百長はない」と疑惑を否定した。
ＮＨＫは同日のニュースで、「記事の内容を全面的に否定しました」とあたかも横綱の証言で八百長が否定されたような報道をしていたが、これは多くの視聴者や国民の失笑をかったはずである。
なぜなら横綱の証言は、八百長問題を裁判で決着させようという日本相撲協会側の一人としての発言だから八百長を否定するのは当たり前だし、そして何より、この裁判で八百長疑惑に決着がつくという甘い考えや期待がその根底にあるからである。
はっきりいって、この裁判で相撲協会側の原告が勝訴しても、大相撲の八百長疑惑は決着しないし、永久に八百長話が消え去ることもない。
大相撲というのは勝ち負けをはっきりさせるスポーツであり、勝者と敗者の明暗は常に分かれる。つまり力士というのは勝負師でなければならないのである。そして、その力士を束ねる協会は勝負師の集団である。
本当に勝負師の集団なら、ファンの心理は百も承知しているはずである。
力士の闘いがいい加減であったり、不審な取り組みの結果には遠慮なく、「八百長」の声が飛ぶ。これが度重なれば、「八百長」の声はヤジではなく、いつかファンの共通認識になる。『週刊現代』の八百長記事は、そのファンの共通認識を反映したものだと言っていい。
この「八百長」の声を払しょくするのに、事実関係の白黒を裁判ではっきりさせることが必要だろうか。そうではあるまい。そんなことをしても、誰も八百長がないとは信じない。横綱が、法廷で証言してもである。
相撲協会が本当にやらなければならないのは、八百長と思われないような真剣な取り組みを増やすことである。これによってのみ、八百長疑惑に決着がつくことを協会は知らなければならない。
これが、大相撲に裁判はそぐわないといわれるゆえんである。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>大相撲の八百長を報じた講談社『週刊現代』の記事をめぐり、１０月３日、ついに原告の一人として横綱朝青龍が裁判に出廷、「すべて真剣勝負で、八百長はない」と疑惑を否定した。</p>
<p>ＮＨＫは同日のニュースで、「記事の内容を全面的に否定しました」とあたかも横綱の証言で八百長が否定されたような報道をしていたが、これは多くの視聴者や国民の失笑をかったはずである。<br />
なぜなら横綱の証言は、八百長問題を裁判で決着させようという日本相撲協会側の一人としての発言だから八百長を否定するのは当たり前だし、そして何より、この裁判で八百長疑惑に決着がつくという甘い考えや期待がその根底にあるからである。</p>
<p>はっきりいって、この裁判で相撲協会側の原告が勝訴しても、大相撲の八百長疑惑は決着しないし、永久に八百長話が消え去ることもない。<br />
大相撲というのは勝ち負けをはっきりさせるスポーツであり、勝者と敗者の明暗は常に分かれる。つまり力士というのは勝負師でなければならないのである。そして、その力士を束ねる協会は勝負師の集団である。</p>
<p>本当に勝負師の集団なら、ファンの心理は百も承知しているはずである。<br />
力士の闘いがいい加減であったり、不審な取り組みの結果には遠慮なく、「八百長」の声が飛ぶ。これが度重なれば、「八百長」の声はヤジではなく、いつかファンの共通認識になる。『週刊現代』の八百長記事は、そのファンの共通認識を反映したものだと言っていい。</p>
<p>この「八百長」の声を払しょくするのに、事実関係の白黒を裁判ではっきりさせることが必要だろうか。そうではあるまい。そんなことをしても、誰も八百長がないとは信じない。横綱が、法廷で証言してもである。<br />
相撲協会が本当にやらなければならないのは、八百長と思われないような真剣な取り組みを増やすことである。これによってのみ、八百長疑惑に決着がつくことを協会は知らなければならない。<br />
これが、大相撲に裁判はそぐわないといわれるゆえんである。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>【相撲協会　外部理事決定】改革期待外れのミスマッチ</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Oct 2008 08:11:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ttt</dc:creator>
				<category><![CDATA[時局ニュース]]></category>
		<category><![CDATA[相撲]]></category>

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		<description><![CDATA[　日本相撲協会は９月３０日、外部役員として都市計画が専門の伊藤滋東大名誉教授（77）と弁護士の村山弘義・元東京高検検事長（７１）を理事に、理事会に出席するが議決権のない監事に吉野準・元警視総監（73）の起用を決めた。
　しかし、この人選は明らかにミスマッチ。肩書きが立派というだけでは、相撲協会の改革、再生はできない。
　いま大相撲に必要なのは、公益法人としてどのように組織を改革していくのか、外国人力士が幅を利かす中にあって“国技”をどのように守るかといった根本的な問題の解決であって、都市計画や法律の専門家で対処するようなものではない。
　むしろ必要な外部人材は、経営の専門家である財界人であったり、国技を考える文化人や政界人らなのだ。今回の人選が、単に外部の相撲ファンの声を協会の運営に反映せさたというだけのものであれば、何も権限のある理事になどする必要はない。
　この起用は明らかに、外向けである。超一流の肩書きや７０歳以上の高齢者を並べたこともさることながら、高検上がりの弁護士を選んだなどというのは、協会が強面で外部に睨みを利かした以外のなにものでもない。それとも、内部の規律や統率が、弁護士が必要なほど乱れているということなのだろうか。
　いま相撲協会に必要なのは、外向けの強面ではなく、組織の在り方や力士のモラル向上など、内向けの改革である。そのために外部識者の声や、専門家の知恵を外部から導入しなければならないのである。
相撲ファンやマスコミは、目くらましのような外部役員の導入に騙されてはいけない。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　日本相撲協会は９月３０日、外部役員として都市計画が専門の伊藤滋東大名誉教授（77）と弁護士の村山弘義・元東京高検検事長（７１）を理事に、理事会に出席するが議決権のない監事に吉野準・元警視総監（73）の起用を決めた。</p>
<p>　しかし、この人選は明らかにミスマッチ。肩書きが立派というだけでは、相撲協会の改革、再生はできない。<br />
　いま大相撲に必要なのは、公益法人としてどのように組織を改革していくのか、外国人力士が幅を利かす中にあって“国技”をどのように守るかといった根本的な問題の解決であって、都市計画や法律の専門家で対処するようなものではない。</p>
<p>　むしろ必要な外部人材は、経営の専門家である財界人であったり、国技を考える文化人や政界人らなのだ。今回の人選が、単に外部の相撲ファンの声を協会の運営に反映せさたというだけのものであれば、何も権限のある理事になどする必要はない。<br />
　この起用は明らかに、外向けである。超一流の肩書きや７０歳以上の高齢者を並べたこともさることながら、高検上がりの弁護士を選んだなどというのは、協会が強面で外部に睨みを利かした以外のなにものでもない。それとも、内部の規律や統率が、弁護士が必要なほど乱れているということなのだろうか。</p>
<p>　いま相撲協会に必要なのは、外向けの強面ではなく、組織の在り方や力士のモラル向上など、内向けの改革である。そのために外部識者の声や、専門家の知恵を外部から導入しなければならないのである。<br />
相撲ファンやマスコミは、目くらましのような外部役員の導入に騙されてはいけない。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>【Ｆ１ハンガリーＧＰ戦力分析】フェラーリ失速のピンチ</title>
		<link>http://pub-web.co.jp/?p=19</link>
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		<pubDate>Wed, 30 Jul 2008 08:14:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ttt</dc:creator>
				<category><![CDATA[F1ニュースとクルマ]]></category>

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		<description><![CDATA[　今週末、８月２日～３日、Ｆ１第１１戦、ハンガリーＧＰがブタペストのハンガロリンクで開催される。このＧＰは、３週間にわたる夏休み前、最後のレースとなる。
　したがって、前後半の折り返しＧＰといった色合いが強い。そこで、折り返し地点での戦力分析──。
　折り返し地点での、各チームの実力はどのようなものか。実は、前戦のドイツＧＰで見えてきたものがある。
　それは、コンストラクターズ・ポイントに表われている各チームの勢力図というのが、必ずしも今年の実力を反映していないのではないかという疑いである。これまで勢力図は、フェラーリ（１０５ポイント）、ＢＭＷ（８９）、マクラーレン（８６）の上位グループ。これに次ぐのがトヨタ（２５）、レッドブル（２４）、ルノー（２３）、ウィリアムズ（１６）の中位グループ、そしてホンダ（１４）、トロロッソ（８）、フォースインディア（０）の下位グループに大別されていた。
　しかし、この勢力図がここにきてかなり変わってきている。
　簡単にいえば、本来の速さを維持しているのはマクラーレンだけで、その他は低迷、または失速の状態にある。マクラーレンが早くなっているのではなく、その他のチームが勢いを失っているのである。
　躍進しているかに見えるルノーやホンダも、レース展開に恵まれたり、天候に恵まれたりしているだけで、本来の速さが伸びてきているわけではない。
　そこでそうした状況を一覧にすると、以下のようになる。
・フェラーリ（明らかな失速）
・ＢＭＷ（明らかな失速）
・マクラーレン（本来の速さ維持）
・トヨタ（ミスによる自滅）
・レッドブル（停滞）
・ルノー（フロックによる躍進）
・ウィリアムズ（停滞）
・ホンダ（フロックによる躍進）
・トロロッソ（早さ回復）
・フォースインディア（低迷）
　この各チームの現状を踏まえ、新たな勢力図は以下のようになる。
[上位グループ]
・マクラーレン
・フェラーリ
[中位・上段グループ」
・ＢＭＷ
・トヨタ
・レッドブル
[中位・中段グループ]
・ルノー
・ウィリアムズ
[中位・下段グループ]
・トロロッソ
・ホンダ
[下位グループ]
・フォースインディア
　まず上位グループだが、３強の中から明らかにＢＭＷが脱落している。フェラーリも失速しているが、マクラーレンに対しまだ１周０．２５秒程度の差に収まっている。マクラーレンが特に速くなっているわけではないので、勝手にフェラーリとＢＭＷが失速している感じである。
　ＢＭＷはマクラーレンと０．４５秒程度の差があり、これはトヨタとほぼ同水準にある。ただＢＭＷが失速しているのは、予選に必要な一発の速さがないためで、レースペースに関してはまだＢＭＷのほうが優位に立っている。
　中位の上段グループは、ＢＭＷが入ってきたため、一段と熾烈な戦いになっている。一発の速さではトヨタだが、レースペースや戦略ではＢＭＷのほうに一日の長がある。
　トヨタはここ数戦、予選でのアドバンテージを生かした戦いをしていない。つまらないミスで自滅している。チーム全体のレベルアップを図っているといえばそれまでだが、実際のレースではタイヤ交換を協議している暇などないのだから、ドライバーに有無を言わせない絶対的な信頼できる司令官を必要とする時期にきている。
　レッドブルは一時期、中位グループのトップとして上位グループの取りこぼしを拾いまくっていたが、いまはその地位をトヨタに奪われている。あわよくば表彰台を狙う位置から、８位入賞を狙う位置に停滞していて、今度はその位置を同族チームのトロロッソに脅かされている。
　中位の中段グループ以下で注目されるのは、そのトロロッソで、このところ早さが目立っている。本番ではまだトヨタの速さまで行っていないが、本家を脅かすこの速さは、レッドブルがルノーなのに対し、トロロッソがフェラーリのエンジンを使っていて、その差が出てきているのではないかといわれている。
　中嶋一貴のウィリアムズは一時の勢いを失っているが、これは開発の主力を来年のモデルの開発に向けていたためで、資金力のない独立チームとしてはいたしかたない。それにしては、中嶋もＮ・ロズベルグもよく健闘している。
　ルノーはＦ・アロンソの力をもってしても表彰台はおろかトヨタにも届かないので、レース展開でのフロックを待つしかない。アロンソは、一発に力を入れるとレースペースがまるでだめという悲劇を繰り返している。ルノーのマシンは基本的な速さが足りない。
　ホンダも似たようなもので、マシンに基本的な速さがないから、雨などのフロック頼みが続いている。それでもフェラーリから来たロス・ブラウン代表の力量は大変なもので、レース上のバクチを打つ決断力がある。“ブラウン・ホンダ”の幕開けは近いかもしれない。
　最後に、今週のハンガリーＧＰは直線が短く、追い越しが難しいコーナーの多い低速コースである。したがって、予選での順位が重要な意味を持ってくる。
　いま予選で一発の力が注目されているのは、マクラーレン、トヨタ、トロロッソといったところなので、この３チームから目を離せないレースになりそうである。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　今週末、８月２日～３日、Ｆ１第１１戦、ハンガリーＧＰがブタペストのハンガロリンクで開催される。このＧＰは、３週間にわたる夏休み前、最後のレースとなる。<br />
　したがって、前後半の折り返しＧＰといった色合いが強い。そこで、折り返し地点での戦力分析──。</p>
<p>　折り返し地点での、各チームの実力はどのようなものか。実は、前戦のドイツＧＰで見えてきたものがある。<br />
　それは、コンストラクターズ・ポイントに表われている各チームの勢力図というのが、必ずしも今年の実力を反映していないのではないかという疑いである。これまで勢力図は、フェラーリ（１０５ポイント）、ＢＭＷ（８９）、マクラーレン（８６）の上位グループ。これに次ぐのがトヨタ（２５）、レッドブル（２４）、ルノー（２３）、ウィリアムズ（１６）の中位グループ、そしてホンダ（１４）、トロロッソ（８）、フォースインディア（０）の下位グループに大別されていた。</p>
<p>　しかし、この勢力図がここにきてかなり変わってきている。<br />
　簡単にいえば、本来の速さを維持しているのはマクラーレンだけで、その他は低迷、または失速の状態にある。マクラーレンが早くなっているのではなく、その他のチームが勢いを失っているのである。</p>
<p>　躍進しているかに見えるルノーやホンダも、レース展開に恵まれたり、天候に恵まれたりしているだけで、本来の速さが伸びてきているわけではない。<br />
　そこでそうした状況を一覧にすると、以下のようになる。</p>
<p>・フェラーリ（明らかな失速）<br />
・ＢＭＷ（明らかな失速）<br />
・マクラーレン（本来の速さ維持）<br />
・トヨタ（ミスによる自滅）<br />
・レッドブル（停滞）<br />
・ルノー（フロックによる躍進）<br />
・ウィリアムズ（停滞）<br />
・ホンダ（フロックによる躍進）<br />
・トロロッソ（早さ回復）<br />
・フォースインディア（低迷）</p>
<p>　この各チームの現状を踏まえ、新たな勢力図は以下のようになる。</p>
<p>[上位グループ]<br />
・マクラーレン<br />
・フェラーリ<br />
[中位・上段グループ」<br />
・ＢＭＷ<br />
・トヨタ<br />
・レッドブル<br />
[中位・中段グループ]<br />
・ルノー<br />
・ウィリアムズ<br />
[中位・下段グループ]<br />
・トロロッソ<br />
・ホンダ<br />
[下位グループ]<br />
・フォースインディア</p>
<p>　まず上位グループだが、３強の中から明らかにＢＭＷが脱落している。フェラーリも失速しているが、マクラーレンに対しまだ１周０．２５秒程度の差に収まっている。マクラーレンが特に速くなっているわけではないので、勝手にフェラーリとＢＭＷが失速している感じである。<br />
　ＢＭＷはマクラーレンと０．４５秒程度の差があり、これはトヨタとほぼ同水準にある。ただＢＭＷが失速しているのは、予選に必要な一発の速さがないためで、レースペースに関してはまだＢＭＷのほうが優位に立っている。</p>
<p>　中位の上段グループは、ＢＭＷが入ってきたため、一段と熾烈な戦いになっている。一発の速さではトヨタだが、レースペースや戦略ではＢＭＷのほうに一日の長がある。<br />
　トヨタはここ数戦、予選でのアドバンテージを生かした戦いをしていない。つまらないミスで自滅している。チーム全体のレベルアップを図っているといえばそれまでだが、実際のレースではタイヤ交換を協議している暇などないのだから、ドライバーに有無を言わせない絶対的な信頼できる司令官を必要とする時期にきている。</p>
<p>　レッドブルは一時期、中位グループのトップとして上位グループの取りこぼしを拾いまくっていたが、いまはその地位をトヨタに奪われている。あわよくば表彰台を狙う位置から、８位入賞を狙う位置に停滞していて、今度はその位置を同族チームのトロロッソに脅かされている。</p>
<p>　中位の中段グループ以下で注目されるのは、そのトロロッソで、このところ早さが目立っている。本番ではまだトヨタの速さまで行っていないが、本家を脅かすこの速さは、レッドブルがルノーなのに対し、トロロッソがフェラーリのエンジンを使っていて、その差が出てきているのではないかといわれている。</p>
<p>　中嶋一貴のウィリアムズは一時の勢いを失っているが、これは開発の主力を来年のモデルの開発に向けていたためで、資金力のない独立チームとしてはいたしかたない。それにしては、中嶋もＮ・ロズベルグもよく健闘している。</p>
<p>　ルノーはＦ・アロンソの力をもってしても表彰台はおろかトヨタにも届かないので、レース展開でのフロックを待つしかない。アロンソは、一発に力を入れるとレースペースがまるでだめという悲劇を繰り返している。ルノーのマシンは基本的な速さが足りない。<br />
　ホンダも似たようなもので、マシンに基本的な速さがないから、雨などのフロック頼みが続いている。それでもフェラーリから来たロス・ブラウン代表の力量は大変なもので、レース上のバクチを打つ決断力がある。“ブラウン・ホンダ”の幕開けは近いかもしれない。</p>
<p>　最後に、今週のハンガリーＧＰは直線が短く、追い越しが難しいコーナーの多い低速コースである。したがって、予選での順位が重要な意味を持ってくる。<br />
　いま予選で一発の力が注目されているのは、マクラーレン、トヨタ、トロロッソといったところなので、この３チームから目を離せないレースになりそうである。</p>
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		<title>【みずほ齋藤頭取】不倫報道に白を切る広報の悲哀</title>
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		<pubDate>Tue, 22 Jul 2008 12:19:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ttt</dc:creator>
				<category><![CDATA[企業広報]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://pub-web.co.jp/?p=22</guid>
		<description><![CDATA[　メガバンク、みずほＦＧの歴史に汚点を残す頭取の不倫疑惑がマスコミに取り上げられた。
　それは、講談社の写真週刊誌『フライデー』８月１日号に掲載された、『みずほコーポレート銀行　齋藤宏頭取「美人テレビ東京記者と“愛欲„不倫」──株主総会の夜にも密会用マンションで逢瀬を繰り広げる“汚れた晩節”素顔──』と題する記事で、その内容はこのタイトルで全て語りつくされているので、改めて説明するまでもない。
　ただこのタイトル、最近の企業スキャンダルでここまで言葉をきわめた表現は珍しい。頭取、美人記者、愛欲、不倫、逢瀬、汚れた晩節、素顔…、これだけの表現をされてしまうというのは、メディア側にそれだけの証拠を握られていたということである。
　それだけではない。ここまで決定的な表現をするというのは、メディア側、つまり編集者のある種の怒りさえ感じる。これはおそらく、報道された側、みずほ側が編集者を怒らせているのである。
　そう思って改めて記事を読んでみると、確かに編集者が怒るであろうと思われる要因があった。
それは５ページにわたる記事の最後のところで、
『二人の関係について、本誌は齋藤頭取を直撃した。しかし、齋藤頭取は何も話すことなく車に乗り込んだ。
　そこで、みずほＦＧ広報室に（略）──など、４項目にわたる質問をぶつけた。しかし広報室は、
「ご質問の前提となる密会の事実はありません」
　とのみ回答した。』
　と、紹介された部分である。
　編集者は、取材内容に相当の確信をもって報道しようとしているのである。掲載された写真がそれを物語っている。これに対して、みずほの広報は、「質問の前提となる密会の事実はない」と答えている。
『フライデー』のようなジャーナルを扱うメディアは、社会に影響のある真実を報道するのが仕事であり、それが憲法で認められた報道機関としての役割である。その社会的仕事である報道の内容を、「密会の事実はない」といって頭から否定するというのは、広報としてはまったく馬鹿げた、あまりにも無能で策のない回答である。
　この回答は、報道機関の社会的な役割を否定しているのだから、みずほＦＧでいえば、金融機関として認めないといわれているようなものである。
　相手の存在なり立場を頭から否定するというのは、社会的責任のある企業の取るべき態度ではない。お互いに、相手の立場や役割を認めたところから応対しなければ、最低限の礼を失したことになり、相手を怒らせるだけである。
　今回の例でいえば、証拠の写真を突き付けられているのだから、ミズノの広報は「密会の事実はない」と頭から否定するのではなく、否定するのであれば「事実はあるがそれは誤解だ」とか、「事実を曲解している」と弁明するべきであった。
　みずほＦＧにしても、社会や顧客から「金融機関として認めない」と頭から存在を否定されるよりも、「金融機関として無理な貸し出しをしている」とか、「金融機関として守るべきルールを守っていない」と批判されたなら、それなりの弁明ができるのと同じことである。相手の存在や役割を頭から否定するのではなく、お互いの立場の尊重こそが民主主義のルールなのである。
　ではどうして、みずほの広報はその最低限の守るべきルールを無視して、「密会の事実はない」などという、報道機関の役割を無視するような馬鹿げたコメントを『フライデー』にしたのであろうか。
　答えは簡単である。みずほＦＧの前田晃伸社長以下、経営トップがそう答えることを広報に要求しているのである。広報としては、こう答えるしかなかったといってもいい。
　誤解のないように言っておきたいが、みずほの広報というのは日本の企業でも有数の広報マンを抱えている。その資質は折り紙づきである。したがって、個々の広報マンとしては、内心、忸怩（じくじ）たる思いでこの馬鹿げたコメントを出しているはずである。
　専門的にいうと、こういう馬鹿げたコメントを「建前コメント」と言い、こういうコメントを出す広報を「建前広報」と呼んでいる。
　金融機関としてあってはならないこと、経営トップとしてやってはならないこと、一流企業の経営者としてあってはならないことなど、いわゆる建前に反するとが現実におこった場合、あくまで建前にそって白々しくマスコミなどに対応する広報のスタイル。これが「建前広報」である。
　この建前広報は、事実を社会に向かって否定するのだから、事実が証明されると当然その責任を負わなければならない。
　たとえば報道機関である東京放送（ＴＢＳ）でさえ、１９９６年にオウム真理教に取材ビデオを貸し出したとされる事件で、当時の経営者が「あってはならない」この事実を、建前で「貸し出していない」で押し通したため、その責任を取って退陣に追い込まれている。
　つまり、建前広報というのは目先の言い逃れになっても、最終的に責任を取らされることになるので、広報手法としては下策だといってよい。したがって、優秀な人材がそろっているみずほの広報が、このことを知らないはずがない。
　それにもかかわらず、あえて『フライデー』を怒らせてまで建前コメントを押し通したというのは、それだけの事情があったということなのである。
　では、どんな事情があったのか。
　最も常識的に考えられる事情というのは、どの道、報道される齋藤頭取がスキャンダルの責任を取って辞任するのは決まっているのだから、この際「あってはならない」という建前で押し通したほうがいいと考えたのではないかということである。
　しかし、これは少し甘い考えかもしれない。齋藤頭取はみずほの中で旧興銀を率いる超ワンマン経営者だし、莫大な損失を出しているサブプライムローン関連の責任者の立場にありながら、頭取引退後も会長として院政を敷くのではないかとみられるほどの実力者であり、権力志向の人物である。
　とすれば、齋藤頭取は不倫疑惑の責任を取って辞任するのではなく、むしろその逆で、この程度のスキャンダルなら中央突破ができると踏んで、「知らぬ、存ぜぬ」で押し通そうとして、建前コメントを出したのではないかということである。
　もしこれが事実なら、『フライデー』を始めとするマスコミもずいぶん舐められたものである。マスコミは、齋藤頭取の首や前田社長らの責任を追及できないと、みずほの経営首脳は考えているかのようである。
　みずほ経営首脳の社会性はもともとこの程度の貧弱さなのだが、今回はそれがもろに出たスキャンダルだといっていい。マスコミへの対応を甘く考えているのである。
『フライデー』の報道によれば、齋藤頭取の“愛欲“不倫の相手はこともあろうに、テレビ東京の記者だという。これは火遊びも度が過ぎる。
『フライデー』が二人の関係について興味深い指摘をしている。このテレビ東京の美人記者は、３～４年前から営業局に所属し、今年７月から報道を担当する取材センターに転属し、現在、日銀クラブなどで取材にあたっているという。
『（略）ちなみに、Ａ記者はこの時はまだ異動前で、営業局に所属していた。この逢瀬は何が目的だったのか。営業局社員が、メガバンクの頭取を取材するのだろうか』（同誌）。
　おそらく、この指摘は鋭い。
　テレビ東京は、１９７０年から日本経済新聞系のテレビ局となっていて、当然のことながら報道機関といっても経済中心で、企業寄りの報道が多く、スポンサーからは広告波及効果が高いと評されている。従って一口にマスコミとはいっても、いわば経営者や企業にとっては居心地のいい報道機関になるわけで、スポンサーとなる二流、三流の経営者が盛んに接近している。
　一流企業の経営者はあまり接近したがらないが、中にはみずほの経営者のように、彼らと接触することでマスコミを知ったような気になっているのが少なくないから笑止である。
　企業や経営者の社会性を追求してくる本格派のマスコミは、企業や経営者にとって決して居心地のいい存在ではない。スポンサーだからといって、その報道に手心を加えるようでは決して一流のマスコミとは言えないのである。
　みずほの経営首脳は、明らかに経済中心の日経やその関連メディア、テレビ東京など居心地のいいマスコミと対応することで、あたかもマスコミ対策ができているかのように錯覚している。経営者にとって、本当に立ち向かわなければならないマスコミは、広告出稿などスポンサーの立場だけでは十分に対処できないという自覚がないのである。こういうのを半可通という。
　本当のマスコミとは社会そのものなのであって、これに対処するには経営者にも高い社会性が求められるのである。
　しかし、いかに優秀な経営者であっても、すべてに高い社会性を持つことは困難である。そのときに、経営トップの社会性の欠如を補完するのが企業広報の重要な役割だといっていい。みずほの広報マンには、十分にその能力が備わっている。
　ところが、みずほの経営者は今回、最も社会性のない建前コメントを広報に出させた。
　このことは何を意味しているかといえば、みずほの経営者たちは居心地のいいマスコミとだけ接点を持ち、会社でも日ごろから居心地のいい茶坊主に囲まれていて、本当の社会の情報が入ってきていないということである。経営者の資質に欠けていることは疑いようがない。
　今どき、社会性のない会社ほど危険なものはない。これは数々の企業不祥事がそれを証明している。
　まして、日本を代表する金融機関、それもそのトップに社会性が欠如していつというのは重大問題である。いかに日本有数の広報マンを抱えていても、企業トップに社会性がないと宝の持ち腐れになってしまう。
　その意味で、今回のスキャンダルは社会性のない無能な経営者をトップにいただく企業広報の限界と悲哀を、垣間見せた事件ではあった。有能な広報というのは、業績の追求だけでなく、高い社会性を追求する経営トップがいて、初めて存在するということなのである。
　かつて「経営の神様」と言われた松下電器の創業者である松下幸之助氏が、同時に「日本一の広報マン」と評されたというのも、むべなるかな。みずほＦＧの前田社長は広報を担当した経験があるというが、半可通ほど怖いものはない。本当の広報を理解できない経営トップを持つ広報は不幸であるといわなければならない
　
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　メガバンク、みずほＦＧの歴史に汚点を残す頭取の不倫疑惑がマスコミに取り上げられた。<br />
　それは、講談社の写真週刊誌『フライデー』８月１日号に掲載された、『みずほコーポレート銀行　齋藤宏頭取「美人テレビ東京記者と“愛欲„不倫」──株主総会の夜にも密会用マンションで逢瀬を繰り広げる“汚れた晩節”素顔──』と題する記事で、その内容はこのタイトルで全て語りつくされているので、改めて説明するまでもない。</p>
<p>　ただこのタイトル、最近の企業スキャンダルでここまで言葉をきわめた表現は珍しい。頭取、美人記者、愛欲、不倫、逢瀬、汚れた晩節、素顔…、これだけの表現をされてしまうというのは、メディア側にそれだけの証拠を握られていたということである。<br />
　それだけではない。ここまで決定的な表現をするというのは、メディア側、つまり編集者のある種の怒りさえ感じる。これはおそらく、報道された側、みずほ側が編集者を怒らせているのである。</p>
<p>　そう思って改めて記事を読んでみると、確かに編集者が怒るであろうと思われる要因があった。<br />
それは５ページにわたる記事の最後のところで、<br />
『二人の関係について、本誌は齋藤頭取を直撃した。しかし、齋藤頭取は何も話すことなく車に乗り込んだ。<br />
　そこで、みずほＦＧ広報室に（略）──など、４項目にわたる質問をぶつけた。しかし広報室は、<br />
「ご質問の前提となる密会の事実はありません」<br />
　とのみ回答した。』<br />
　と、紹介された部分である。</p>
<p>　編集者は、取材内容に相当の確信をもって報道しようとしているのである。掲載された写真がそれを物語っている。これに対して、みずほの広報は、「質問の前提となる密会の事実はない」と答えている。<br />
『フライデー』のようなジャーナルを扱うメディアは、社会に影響のある真実を報道するのが仕事であり、それが憲法で認められた報道機関としての役割である。その社会的仕事である報道の内容を、「密会の事実はない」といって頭から否定するというのは、広報としてはまったく馬鹿げた、あまりにも無能で策のない回答である。</p>
<p>　この回答は、報道機関の社会的な役割を否定しているのだから、みずほＦＧでいえば、金融機関として認めないといわれているようなものである。<br />
　相手の存在なり立場を頭から否定するというのは、社会的責任のある企業の取るべき態度ではない。お互いに、相手の立場や役割を認めたところから応対しなければ、最低限の礼を失したことになり、相手を怒らせるだけである。</p>
<p>　今回の例でいえば、証拠の写真を突き付けられているのだから、ミズノの広報は「密会の事実はない」と頭から否定するのではなく、否定するのであれば「事実はあるがそれは誤解だ」とか、「事実を曲解している」と弁明するべきであった。<br />
　みずほＦＧにしても、社会や顧客から「金融機関として認めない」と頭から存在を否定されるよりも、「金融機関として無理な貸し出しをしている」とか、「金融機関として守るべきルールを守っていない」と批判されたなら、それなりの弁明ができるのと同じことである。相手の存在や役割を頭から否定するのではなく、お互いの立場の尊重こそが民主主義のルールなのである。</p>
<p>　ではどうして、みずほの広報はその最低限の守るべきルールを無視して、「密会の事実はない」などという、報道機関の役割を無視するような馬鹿げたコメントを『フライデー』にしたのであろうか。</p>
<p>　答えは簡単である。みずほＦＧの前田晃伸社長以下、経営トップがそう答えることを広報に要求しているのである。広報としては、こう答えるしかなかったといってもいい。<br />
　誤解のないように言っておきたいが、みずほの広報というのは日本の企業でも有数の広報マンを抱えている。その資質は折り紙づきである。したがって、個々の広報マンとしては、内心、忸怩（じくじ）たる思いでこの馬鹿げたコメントを出しているはずである。</p>
<p>　専門的にいうと、こういう馬鹿げたコメントを「建前コメント」と言い、こういうコメントを出す広報を「建前広報」と呼んでいる。<br />
　金融機関としてあってはならないこと、経営トップとしてやってはならないこと、一流企業の経営者としてあってはならないことなど、いわゆる建前に反するとが現実におこった場合、あくまで建前にそって白々しくマスコミなどに対応する広報のスタイル。これが「建前広報」である。</p>
<p>　この建前広報は、事実を社会に向かって否定するのだから、事実が証明されると当然その責任を負わなければならない。<br />
　たとえば報道機関である東京放送（ＴＢＳ）でさえ、１９９６年にオウム真理教に取材ビデオを貸し出したとされる事件で、当時の経営者が「あってはならない」この事実を、建前で「貸し出していない」で押し通したため、その責任を取って退陣に追い込まれている。</p>
<p>　つまり、建前広報というのは目先の言い逃れになっても、最終的に責任を取らされることになるので、広報手法としては下策だといってよい。したがって、優秀な人材がそろっているみずほの広報が、このことを知らないはずがない。<br />
　それにもかかわらず、あえて『フライデー』を怒らせてまで建前コメントを押し通したというのは、それだけの事情があったということなのである。</p>
<p>　では、どんな事情があったのか。<br />
　最も常識的に考えられる事情というのは、どの道、報道される齋藤頭取がスキャンダルの責任を取って辞任するのは決まっているのだから、この際「あってはならない」という建前で押し通したほうがいいと考えたのではないかということである。</p>
<p>　しかし、これは少し甘い考えかもしれない。齋藤頭取はみずほの中で旧興銀を率いる超ワンマン経営者だし、莫大な損失を出しているサブプライムローン関連の責任者の立場にありながら、頭取引退後も会長として院政を敷くのではないかとみられるほどの実力者であり、権力志向の人物である。<br />
　とすれば、齋藤頭取は不倫疑惑の責任を取って辞任するのではなく、むしろその逆で、この程度のスキャンダルなら中央突破ができると踏んで、「知らぬ、存ぜぬ」で押し通そうとして、建前コメントを出したのではないかということである。</p>
<p>　もしこれが事実なら、『フライデー』を始めとするマスコミもずいぶん舐められたものである。マスコミは、齋藤頭取の首や前田社長らの責任を追及できないと、みずほの経営首脳は考えているかのようである。</p>
<p>　みずほ経営首脳の社会性はもともとこの程度の貧弱さなのだが、今回はそれがもろに出たスキャンダルだといっていい。マスコミへの対応を甘く考えているのである。<br />
『フライデー』の報道によれば、齋藤頭取の“愛欲“不倫の相手はこともあろうに、テレビ東京の記者だという。これは火遊びも度が過ぎる。</p>
<p>『フライデー』が二人の関係について興味深い指摘をしている。このテレビ東京の美人記者は、３～４年前から営業局に所属し、今年７月から報道を担当する取材センターに転属し、現在、日銀クラブなどで取材にあたっているという。<br />
『（略）ちなみに、Ａ記者はこの時はまだ異動前で、営業局に所属していた。この逢瀬は何が目的だったのか。営業局社員が、メガバンクの頭取を取材するのだろうか』（同誌）。</p>
<p>　おそらく、この指摘は鋭い。<br />
　テレビ東京は、１９７０年から日本経済新聞系のテレビ局となっていて、当然のことながら報道機関といっても経済中心で、企業寄りの報道が多く、スポンサーからは広告波及効果が高いと評されている。従って一口にマスコミとはいっても、いわば経営者や企業にとっては居心地のいい報道機関になるわけで、スポンサーとなる二流、三流の経営者が盛んに接近している。</p>
<p>　一流企業の経営者はあまり接近したがらないが、中にはみずほの経営者のように、彼らと接触することでマスコミを知ったような気になっているのが少なくないから笑止である。<br />
　企業や経営者の社会性を追求してくる本格派のマスコミは、企業や経営者にとって決して居心地のいい存在ではない。スポンサーだからといって、その報道に手心を加えるようでは決して一流のマスコミとは言えないのである。</p>
<p>　みずほの経営首脳は、明らかに経済中心の日経やその関連メディア、テレビ東京など居心地のいいマスコミと対応することで、あたかもマスコミ対策ができているかのように錯覚している。経営者にとって、本当に立ち向かわなければならないマスコミは、広告出稿などスポンサーの立場だけでは十分に対処できないという自覚がないのである。こういうのを半可通という。</p>
<p>　本当のマスコミとは社会そのものなのであって、これに対処するには経営者にも高い社会性が求められるのである。<br />
　しかし、いかに優秀な経営者であっても、すべてに高い社会性を持つことは困難である。そのときに、経営トップの社会性の欠如を補完するのが企業広報の重要な役割だといっていい。みずほの広報マンには、十分にその能力が備わっている。</p>
<p>　ところが、みずほの経営者は今回、最も社会性のない建前コメントを広報に出させた。<br />
　このことは何を意味しているかといえば、みずほの経営者たちは居心地のいいマスコミとだけ接点を持ち、会社でも日ごろから居心地のいい茶坊主に囲まれていて、本当の社会の情報が入ってきていないということである。経営者の資質に欠けていることは疑いようがない。</p>
<p>　今どき、社会性のない会社ほど危険なものはない。これは数々の企業不祥事がそれを証明している。<br />
　まして、日本を代表する金融機関、それもそのトップに社会性が欠如していつというのは重大問題である。いかに日本有数の広報マンを抱えていても、企業トップに社会性がないと宝の持ち腐れになってしまう。</p>
<p>　その意味で、今回のスキャンダルは社会性のない無能な経営者をトップにいただく企業広報の限界と悲哀を、垣間見せた事件ではあった。有能な広報というのは、業績の追求だけでなく、高い社会性を追求する経営トップがいて、初めて存在するということなのである。<br />
　かつて「経営の神様」と言われた松下電器の創業者である松下幸之助氏が、同時に「日本一の広報マン」と評されたというのも、むべなるかな。みずほＦＧの前田社長は広報を担当した経験があるというが、半可通ほど怖いものはない。本当の広報を理解できない経営トップを持つ広報は不幸であるといわなければならない<br />
　</p>
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		<item>
		<title>【Ｆ１トヨタ】雨のシルバーストーンが弱点を浮き彫に</title>
		<link>http://pub-web.co.jp/?p=28</link>
		<comments>http://pub-web.co.jp/?p=28#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 18 Jul 2008 12:28:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ttt</dc:creator>
				<category><![CDATA[F1ニュースとクルマ]]></category>

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		<description><![CDATA[雨中の戦いとなった７月６日のイギリスＧＰでトヨタは、Ｊ・トゥルーリが執念の走りを見せ７位入賞。これでトヨタはコンストラクターズポイントで、レッドブルを抜いて４位に躍進し、名実ともに中位グループのトップに立つこととなった。
　これからも中位グループの熾烈な争いは続くだろうが、節目の折り返し地点でトップに立ったことは今年のトヨタの躍進を裏付けるものといってよい。
[コンストラクターズランキング]　０８・７・８
１位　フェラーリ　９６
２位　ＢＭＷ　８２
３位　マクラーレン　７２
４位　トヨタ　２５
５位　レッドブル　２４
６位　ウィリアムズ　１６
７位　ルノー　１５
８位　ホンダ　１４
９位　トロロッソ　７
１０位　フォースインディア　０
　このランキングをみると、獅子奮迅の活躍が話題になっているＦ・アロンソのルノーが、その活躍にもかかわらず依然としてトヨタに１０ポイントの差をつけられている。このことからのも、今年のトヨタがいかに堅実な走りをしているかをうかがい知ることができる。
　しかし同時に、そこからはトヨタが直面する大きな壁も見えてくる。とくにシルバーストーンで行われた雨のイギリスＧＰでは、その問題が顕著に現れた。
　それは強さと同居する弱点というか、強くなったが故に要求される弱点ともいうべきものである。
　イギリスＧＰでのトヨタの予選、それに予選前のフリー走行の成績は散々なものであった。特に予選前日の４日に行われた初日のフリー走行２回目は、終了数分前まで２０台中１９位と２０位という体（てい）たらく。
　Ｔ・グロックは縁石に車体の底をぶつけてモノコックにひびが入り、トゥルーリは新しく投入したリア・ウイングを支えるピラーの取り付け(マウント部分)に支障をきたして、走行中にウイングを脱落。リアのダウンフォースを失ったマシンはスピンをしてタイヤバリアにクラッシュしてしまった。両方ともよくあるアクシデントとはいえ、翌日の予選に影を落とすものであった。
　そして予選。案の定というべきか走りこみ不足のトヨタは、Ｑ１をどうにかクリアしたもののＱ２はグロックが１２位、トゥルーリが１４位と、ともにＱ３進出はならなかった。
　しかし、このままで終わらないのが最近のトヨタの強さである。未調整ながら、決勝ではトヨタらしい粘り強い走りを見せた。
　レースはウエット。ほとんどんマシンはスタンダード・ウエット(浅みぞ)・タイヤでスタートを切った。雨は止んでいたが、路面は完全にウエットで水しぶきの上がる状態。天気予報もレース中の降雨を予測していて、気象に合わせたタイヤ戦略が勝敗に大きく影響するのは言わずもがな。勝負の行方は、作戦司令室であるピットウォールの戦略次第ということになった。
　ところが、この重要時にトヨタのピットウォールは何も決断しなかった、かに見える。７位を奪取し、トヨタに貴重な２ポイントをもたらしたトゥルーリのレース後のコメントである(ニュースリリースより)。
「今日は良いレースだった。２ポイント獲得できたのは良かったけれど、もっと上を狙いたかった。レースを通して、私はとても力強い走行ができていて、雨がひどくなった頃には３位まで順位を上げていた」
「その時点で、コースは本当にひどい状態で、至るところでアクアプレーニングが発生し、１周あたり15秒も失っていた。 我々は、エクストリーム・ウェット（深みぞ）・タイヤに切り替える賭けに出るべきだった。しかし残念ながら、その決定を下そうとした時点で、もうこれ以上雨が降らないのが分かったんだ」
　それでトヨタは、２台ともエクストリーム・ウェット・タイヤに交換することはなかった。誰が、交換しないと決断したのだろう。何もしないという決断である。もし、誰かが交換して成功したら、何もしないという決断は、単なる無策、つまり戦略がなかったということになる。
「それはただ、難しいコースコンディションにおける判断の難しさの問題だったのだけれど、後から考えると、我々はタイヤを替えるべきだったね。表彰台を獲得できるかもしれないぐらい、とても力強い走行が出来ていたから、残念だった」
　このトゥルーリのコメントには無念さがにじみ出ている。どうしてうちのチームのピットウォールは無策だったのだと叫んでいる。
　ニュースリリースを読むと山科忠チーム代表は、「天候は回復すると感じていたので、我々はエクストリーム・ウェット・タイヤに切り替えるよりもスタンダード・ウェット・タイヤを履き続けることを選択した。その選択は最終的にはうまく行った」といっている。
　ドライバーが表彰台を狙えたかもしれないといっているのに、「その選択は最終的にうまくいった」という山科代表の評価は、あまりに情けないのではないか。
　現に、積極的にエクストリーム・ウェット・タイヤに切り替える戦略をとったウィリアムズとホンダは大成功を収めた。ウィリアムズは最後にトゥルーリに抜かれたものの８位に入賞し、ホンダは３位表彰台となった。
　雨は止んでも、あれだけ水量が多ければいかに乾きが早いシルバーストーンでも、１０周や１５周、時間にして２～３０分はエクストリーム・ウェット・タイヤの効果が持続するはずである。７位だったホンダは１周、３秒から４秒も早いラップで２位まで駆け上がっている。そして、ふたたびスタンダード・ウェット・タイヤに戻すためにピットインをしたが、そのタイムロスにもかかわらず３位を獲得した。
　トヨタのピットウォールは、その計算と決断ができなかったのだろうか。トゥルーリの無念さがわかろうというものである。
山梨代表が言うように、トゥルーリの選択はうまくいったと言いはるのなら、せめてグロックだけは、エクストリーム・ウェット・タイヤに交換するという戦略が取れたのではないか。ウィリアムズが、中嶋一貴のタイヤだけを交換したようにである。
　情報によれば、グロックのフロントウィングは最新のもので、このパッケージはストレートのスピードは伸びるもののその分ダウンフォースが低くなるという。
　確かにグロックの最高速は１位とテレビ画面に出ていたし、同時にスピンの回数もフェラーリのＦ・マッサと並んでトップクラスだった。彼のダウンフォースをカバーするためにも、より雨中でのグリップ力が増すエクストリーム・ウェット・タイヤへの切り替えは、通常の戦略としても十分に考えらたはずである。
　しかし、トヨタのピットウォールは何もしなかった。無策だった。これといった戦略がとれなかったのである。
もちろんこのことは問題である。だが、それ以上に問題なのは、山梨代表のコメントを待つまでもなく、チーム首脳にそれが問題だという意識がないことである。戦略がないことに危機感がないのである。
　もう一人の日本人幹部、新居章年技術コーディネーション担当ディレクターのプレスリリースでのコメント。
「我慢強くレースをした二人のドライバーに感謝したい。 しかし予選でトップ１０に入れなかったことは大きな反省材料であり、次のドイツに向けてはしっかり車のアップデートも図りたい」
　技術コーディネーション担当ディレクターという立場では、戦略より技術が最大問題という認識もやむを得ないかとも思うが、それではトヨタの中で誰が戦略の弱点に関心を持ち、責任をとるのか。
　トヨタのマシンがトップレベル近づき、ある強さに到達すれば次に要求されるのは戦略面の強化である。ところがトヨタの首脳は、そのことにきわめて危機意識が希薄なことを今回改めて露呈してしまった。マシンの性能とピットウォールの戦略頭脳は、トップチームになるために欠かせない二大要素、クルマの両輪のようなものである。
　ものづくりで世界一になったトヨタの経験からいえば、戦略は技術の後についてくるももだろうが、レースではそうはいかない。レースは、それに勝つための独自の戦略が必要なのである。
　いずれ戦略はついてくると思っているその哲学、その問題意識のなさが、いまＦ１トヨタが抱えている最大の弱点といってもいい。シルバーストーンの雨中のＧＰは、そのことを鮮明に浮き上がらせたレースであった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>雨中の戦いとなった７月６日のイギリスＧＰでトヨタは、Ｊ・トゥルーリが執念の走りを見せ７位入賞。これでトヨタはコンストラクターズポイントで、レッドブルを抜いて４位に躍進し、名実ともに中位グループのトップに立つこととなった。<br />
　これからも中位グループの熾烈な争いは続くだろうが、節目の折り返し地点でトップに立ったことは今年のトヨタの躍進を裏付けるものといってよい。</p>
<p>[コンストラクターズランキング]　０８・７・８<br />
１位　フェラーリ　９６<br />
２位　ＢＭＷ　８２<br />
３位　マクラーレン　７２<br />
４位　トヨタ　２５<br />
５位　レッドブル　２４<br />
６位　ウィリアムズ　１６<br />
７位　ルノー　１５<br />
８位　ホンダ　１４<br />
９位　トロロッソ　７<br />
１０位　フォースインディア　０</p>
<p>　このランキングをみると、獅子奮迅の活躍が話題になっているＦ・アロンソのルノーが、その活躍にもかかわらず依然としてトヨタに１０ポイントの差をつけられている。このことからのも、今年のトヨタがいかに堅実な走りをしているかをうかがい知ることができる。</p>
<p>　しかし同時に、そこからはトヨタが直面する大きな壁も見えてくる。とくにシルバーストーンで行われた雨のイギリスＧＰでは、その問題が顕著に現れた。<br />
　それは強さと同居する弱点というか、強くなったが故に要求される弱点ともいうべきものである。</p>
<p>　イギリスＧＰでのトヨタの予選、それに予選前のフリー走行の成績は散々なものであった。特に予選前日の４日に行われた初日のフリー走行２回目は、終了数分前まで２０台中１９位と２０位という体（てい）たらく。<br />
　Ｔ・グロックは縁石に車体の底をぶつけてモノコックにひびが入り、トゥルーリは新しく投入したリア・ウイングを支えるピラーの取り付け(マウント部分)に支障をきたして、走行中にウイングを脱落。リアのダウンフォースを失ったマシンはスピンをしてタイヤバリアにクラッシュしてしまった。両方ともよくあるアクシデントとはいえ、翌日の予選に影を落とすものであった。</p>
<p>　そして予選。案の定というべきか走りこみ不足のトヨタは、Ｑ１をどうにかクリアしたもののＱ２はグロックが１２位、トゥルーリが１４位と、ともにＱ３進出はならなかった。</p>
<p>　しかし、このままで終わらないのが最近のトヨタの強さである。未調整ながら、決勝ではトヨタらしい粘り強い走りを見せた。<br />
　レースはウエット。ほとんどんマシンはスタンダード・ウエット(浅みぞ)・タイヤでスタートを切った。雨は止んでいたが、路面は完全にウエットで水しぶきの上がる状態。天気予報もレース中の降雨を予測していて、気象に合わせたタイヤ戦略が勝敗に大きく影響するのは言わずもがな。勝負の行方は、作戦司令室であるピットウォールの戦略次第ということになった。</p>
<p>　ところが、この重要時にトヨタのピットウォールは何も決断しなかった、かに見える。７位を奪取し、トヨタに貴重な２ポイントをもたらしたトゥルーリのレース後のコメントである(ニュースリリースより)。<br />
「今日は良いレースだった。２ポイント獲得できたのは良かったけれど、もっと上を狙いたかった。レースを通して、私はとても力強い走行ができていて、雨がひどくなった頃には３位まで順位を上げていた」</p>
<p>「その時点で、コースは本当にひどい状態で、至るところでアクアプレーニングが発生し、１周あたり15秒も失っていた。 我々は、エクストリーム・ウェット（深みぞ）・タイヤに切り替える賭けに出るべきだった。しかし残念ながら、その決定を下そうとした時点で、もうこれ以上雨が降らないのが分かったんだ」</p>
<p>　それでトヨタは、２台ともエクストリーム・ウェット・タイヤに交換することはなかった。誰が、交換しないと決断したのだろう。何もしないという決断である。もし、誰かが交換して成功したら、何もしないという決断は、単なる無策、つまり戦略がなかったということになる。</p>
<p>「それはただ、難しいコースコンディションにおける判断の難しさの問題だったのだけれど、後から考えると、我々はタイヤを替えるべきだったね。表彰台を獲得できるかもしれないぐらい、とても力強い走行が出来ていたから、残念だった」</p>
<p>　このトゥルーリのコメントには無念さがにじみ出ている。どうしてうちのチームのピットウォールは無策だったのだと叫んでいる。<br />
　ニュースリリースを読むと山科忠チーム代表は、「天候は回復すると感じていたので、我々はエクストリーム・ウェット・タイヤに切り替えるよりもスタンダード・ウェット・タイヤを履き続けることを選択した。その選択は最終的にはうまく行った」といっている。<br />
　ドライバーが表彰台を狙えたかもしれないといっているのに、「その選択は最終的にうまくいった」という山科代表の評価は、あまりに情けないのではないか。</p>
<p>　現に、積極的にエクストリーム・ウェット・タイヤに切り替える戦略をとったウィリアムズとホンダは大成功を収めた。ウィリアムズは最後にトゥルーリに抜かれたものの８位に入賞し、ホンダは３位表彰台となった。<br />
　雨は止んでも、あれだけ水量が多ければいかに乾きが早いシルバーストーンでも、１０周や１５周、時間にして２～３０分はエクストリーム・ウェット・タイヤの効果が持続するはずである。７位だったホンダは１周、３秒から４秒も早いラップで２位まで駆け上がっている。そして、ふたたびスタンダード・ウェット・タイヤに戻すためにピットインをしたが、そのタイムロスにもかかわらず３位を獲得した。</p>
<p>　トヨタのピットウォールは、その計算と決断ができなかったのだろうか。トゥルーリの無念さがわかろうというものである。<br />
山梨代表が言うように、トゥルーリの選択はうまくいったと言いはるのなら、せめてグロックだけは、エクストリーム・ウェット・タイヤに交換するという戦略が取れたのではないか。ウィリアムズが、中嶋一貴のタイヤだけを交換したようにである。</p>
<p>　情報によれば、グロックのフロントウィングは最新のもので、このパッケージはストレートのスピードは伸びるもののその分ダウンフォースが低くなるという。<br />
　確かにグロックの最高速は１位とテレビ画面に出ていたし、同時にスピンの回数もフェラーリのＦ・マッサと並んでトップクラスだった。彼のダウンフォースをカバーするためにも、より雨中でのグリップ力が増すエクストリーム・ウェット・タイヤへの切り替えは、通常の戦略としても十分に考えらたはずである。</p>
<p>　しかし、トヨタのピットウォールは何もしなかった。無策だった。これといった戦略がとれなかったのである。<br />
もちろんこのことは問題である。だが、それ以上に問題なのは、山梨代表のコメントを待つまでもなく、チーム首脳にそれが問題だという意識がないことである。戦略がないことに危機感がないのである。</p>
<p>　もう一人の日本人幹部、新居章年技術コーディネーション担当ディレクターのプレスリリースでのコメント。<br />
「我慢強くレースをした二人のドライバーに感謝したい。 しかし予選でトップ１０に入れなかったことは大きな反省材料であり、次のドイツに向けてはしっかり車のアップデートも図りたい」</p>
<p>　技術コーディネーション担当ディレクターという立場では、戦略より技術が最大問題という認識もやむを得ないかとも思うが、それではトヨタの中で誰が戦略の弱点に関心を持ち、責任をとるのか。<br />
　トヨタのマシンがトップレベル近づき、ある強さに到達すれば次に要求されるのは戦略面の強化である。ところがトヨタの首脳は、そのことにきわめて危機意識が希薄なことを今回改めて露呈してしまった。マシンの性能とピットウォールの戦略頭脳は、トップチームになるために欠かせない二大要素、クルマの両輪のようなものである。</p>
<p>　ものづくりで世界一になったトヨタの経験からいえば、戦略は技術の後についてくるももだろうが、レースではそうはいかない。レースは、それに勝つための独自の戦略が必要なのである。<br />
　いずれ戦略はついてくると思っているその哲学、その問題意識のなさが、いまＦ１トヨタが抱えている最大の弱点といってもいい。シルバーストーンの雨中のＧＰは、そのことを鮮明に浮き上がらせたレースであった。</p>
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		<title>【Ｆ１ ドイツＧＰ戦力分析】レースごとに変わる優劣</title>
		<link>http://pub-web.co.jp/?p=25</link>
		<comments>http://pub-web.co.jp/?p=25#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 15 Jul 2008 00:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ttt</dc:creator>
				<category><![CDATA[F1ニュースとクルマ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://pub-web.co.jp/?p=25</guid>
		<description><![CDATA[　F１はいよいよ後半戦のスタートである。今週末の第１０戦、ドイツＧＰはトヨタの本拠地、ケルンにほど近いホッケンハイム・サーキットでの開催となる。
　さっそく現状での戦力分析だが、依然として大きな勢力図は変わらない。
　トップグループはフェラーリ（コンストラクターズ・ポイント９６Ｐ）、ＢＭＷ（８２Ｐ）、マクラーレン（７２Ｐ）の３強で、これに次ぐ中位グループがトヨタ（２４Ｐ）、レッドブル（２４Ｐ）、ウィリアムズ（１６Ｐ）、ルノー（１５Ｐ）の４チーム。下位グループがホンダ(１４Ｐ)とトロロッソ（７Ｐ）、フォースインディア(０Ｐ)の３チームとなっている。
　このうち大混戦の中位グループでは、トヨタがレッドブルをとらえて４位に上がったため、１０ポイントの差をつけてトヨタＶＳレッドブルの上位と、ウィリアムズＶＳルノーの下位グループとに分かれてきた。
　３強でも１～３位の差が１０ポイント以上開いているが、上位の獲得ポイントは優勝１０ポイント、２位が８ポイント、３位が６ポイントとなっているので、着順によっては一気に逆転する可能性が高い。これに対し、実力的には上位を３強に独占される中位グループは、必然的に４位の５ポイントから１ポイントずつ下がっていく８位までの下位ポイントを争うことになるので、１０ポイントの開きというのは大きな重みを持っている。
　ただ、前回の雨のイギリスＧＰでホンダが３位に入賞したように、レース状況に恵まれれば表彰台に乗るチャンスもあるわけで、中位以下のチームはそうした上位チームの取りこぼしを確実にものにしていくしかない。
　そういう意味でホンダは雨に強いところを証明したが、ほぼ完ぺきなウエットでなおかつレース展開に恵まれた場合という条件付きなので、獲得ポイントは中位グループの最下位につけているが、戦力的にはまだ下位グループの評価である。
　このように勢力図に大きな変化はないが、各グループごとにチーム間の実力が極端に接近していることは事実で、これがレースごとに優劣が変わるという予測しにくい結果をもたらしている。つまり日替わりのレース結果になっているということである。
　したがってオーバーテーク(追い抜き)のチャンスが多く、平均的なサーキットと云われるホッケンハイムでは、どのチームがセットアップに成功しているかが、観戦の大きな見どころとなる。
　以下に、その見どころのポイントのいくつかを上げてみる。
１．フェラーリは調子を取り戻しているのか
前戦、雨のイギリスＧＰはあまりに不出来。これはマクラーレンの上出来と裏表の関係にあるわけだが、その意味で、後半戦のスタートとなるこの一戦は今年の選手権の行方を占うものになるかもしれない。
２．トヨタは４位を死守できるか
今年のレッドブルはコンスタントにポイントを獲得していて、３強に次ぐ実力を持っているのは確か。これに対し、トヨタは序盤はまずまずだったが、４、５戦で調子を落とし最近また復活してきた。ということはまた調子を落とす可能性もあるわけで、トヨタはまさに正念場を迎えている。
３．ウィリアムズの中嶋一貴はまた入賞できるか
前戦のイギリスＧＰで一貴が貴重な１ポイントをあげ、Ｆ・アロンソの活躍で追い上げの激しいルノーを抑えてチームに貢献したばかりでなく、同僚のＮ・ロズベルグともポイント８でついに並んでしまった。新人としては申し分のない活躍で、明らかに実力も向上している。
４．アロンソはどんな賭けに出るか
今年のアロンソは非常に面白い。３強のマシンの乗れば今年もチャンピオンシップを争っていたのだろうが、不出来なルノーのマシンではそうもいかない。入賞を狙うことすら難しいのである。ところが彼は、決してあきらめない。メカを叱咤激励し、自らは戦略、戦術を駆使して一発を狙い続けている。アロンソの賭けは見逃せない。
５．ホンダは中位グループには入れるか
ホンダはポイントの上では中位グループに追いついたように見えるが、その理由がイギリスＧＰでの雨の恩恵だったため、この表彰台はフロック（まぐれ）と思われている。そこで、これがフロックでないことを証明するためにもここで入賞しなければならない。ロス・ブラウン代表の真価が問われている。
　以上、見どころを挙げればきりがないが、１０月１２日の日本ＧＰに向けてジャパンパワーの躍進に期待したいものである。
　
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　F１はいよいよ後半戦のスタートである。今週末の第１０戦、ドイツＧＰはトヨタの本拠地、ケルンにほど近いホッケンハイム・サーキットでの開催となる。</p>
<p>　さっそく現状での戦力分析だが、依然として大きな勢力図は変わらない。<br />
　トップグループはフェラーリ（コンストラクターズ・ポイント９６Ｐ）、ＢＭＷ（８２Ｐ）、マクラーレン（７２Ｐ）の３強で、これに次ぐ中位グループがトヨタ（２４Ｐ）、レッドブル（２４Ｐ）、ウィリアムズ（１６Ｐ）、ルノー（１５Ｐ）の４チーム。下位グループがホンダ(１４Ｐ)とトロロッソ（７Ｐ）、フォースインディア(０Ｐ)の３チームとなっている。</p>
<p>　このうち大混戦の中位グループでは、トヨタがレッドブルをとらえて４位に上がったため、１０ポイントの差をつけてトヨタＶＳレッドブルの上位と、ウィリアムズＶＳルノーの下位グループとに分かれてきた。<br />
　３強でも１～３位の差が１０ポイント以上開いているが、上位の獲得ポイントは優勝１０ポイント、２位が８ポイント、３位が６ポイントとなっているので、着順によっては一気に逆転する可能性が高い。これに対し、実力的には上位を３強に独占される中位グループは、必然的に４位の５ポイントから１ポイントずつ下がっていく８位までの下位ポイントを争うことになるので、１０ポイントの開きというのは大きな重みを持っている。</p>
<p>　ただ、前回の雨のイギリスＧＰでホンダが３位に入賞したように、レース状況に恵まれれば表彰台に乗るチャンスもあるわけで、中位以下のチームはそうした上位チームの取りこぼしを確実にものにしていくしかない。<br />
　そういう意味でホンダは雨に強いところを証明したが、ほぼ完ぺきなウエットでなおかつレース展開に恵まれた場合という条件付きなので、獲得ポイントは中位グループの最下位につけているが、戦力的にはまだ下位グループの評価である。</p>
<p>　このように勢力図に大きな変化はないが、各グループごとにチーム間の実力が極端に接近していることは事実で、これがレースごとに優劣が変わるという予測しにくい結果をもたらしている。つまり日替わりのレース結果になっているということである。<br />
　したがってオーバーテーク(追い抜き)のチャンスが多く、平均的なサーキットと云われるホッケンハイムでは、どのチームがセットアップに成功しているかが、観戦の大きな見どころとなる。</p>
<p>　以下に、その見どころのポイントのいくつかを上げてみる。<br />
１．フェラーリは調子を取り戻しているのか<br />
前戦、雨のイギリスＧＰはあまりに不出来。これはマクラーレンの上出来と裏表の関係にあるわけだが、その意味で、後半戦のスタートとなるこの一戦は今年の選手権の行方を占うものになるかもしれない。</p>
<p>２．トヨタは４位を死守できるか<br />
今年のレッドブルはコンスタントにポイントを獲得していて、３強に次ぐ実力を持っているのは確か。これに対し、トヨタは序盤はまずまずだったが、４、５戦で調子を落とし最近また復活してきた。ということはまた調子を落とす可能性もあるわけで、トヨタはまさに正念場を迎えている。</p>
<p>３．ウィリアムズの中嶋一貴はまた入賞できるか<br />
前戦のイギリスＧＰで一貴が貴重な１ポイントをあげ、Ｆ・アロンソの活躍で追い上げの激しいルノーを抑えてチームに貢献したばかりでなく、同僚のＮ・ロズベルグともポイント８でついに並んでしまった。新人としては申し分のない活躍で、明らかに実力も向上している。</p>
<p>４．アロンソはどんな賭けに出るか<br />
今年のアロンソは非常に面白い。３強のマシンの乗れば今年もチャンピオンシップを争っていたのだろうが、不出来なルノーのマシンではそうもいかない。入賞を狙うことすら難しいのである。ところが彼は、決してあきらめない。メカを叱咤激励し、自らは戦略、戦術を駆使して一発を狙い続けている。アロンソの賭けは見逃せない。</p>
<p>５．ホンダは中位グループには入れるか<br />
ホンダはポイントの上では中位グループに追いついたように見えるが、その理由がイギリスＧＰでの雨の恩恵だったため、この表彰台はフロック（まぐれ）と思われている。そこで、これがフロックでないことを証明するためにもここで入賞しなければならない。ロス・ブラウン代表の真価が問われている。</p>
<p>　以上、見どころを挙げればきりがないが、１０月１２日の日本ＧＰに向けてジャパンパワーの躍進に期待したいものである。<br />
　</p>
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		<title>【この国の想い】日本人の悲しきＤＮＡ─官僚国家３</title>
		<link>http://pub-web.co.jp/?p=37</link>
		<comments>http://pub-web.co.jp/?p=37#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Jun 2008 13:19:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ttt</dc:creator>
				<category><![CDATA[この国の想い]]></category>

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		<description><![CDATA[戦後、６０年前にアメリカ主導のＧＨＱから授けられた、見せかけではない、本当の民主主義とは何だったろうか。これが分かれば、国民は本当の権力者になり、悪徳役人をこの国から排除することができるのである。
　実は、よく考えてほしいのだが、戦後の民主主義は形からスタートしている。具体的にいえば、現行の日本国憲法が、日本の民主主義の原点となっているのである。というより、日本国憲法が日本という国の形態、つまり国体の原点になっている。
　しかしこれは、少し変ではないか。憲法というのはあくまでも法（のり、規則）であって、精神ではない。戦後の日本は、精神や理念を抜きにして、その行動基準を定めた憲法という形を土台にしてスタートしているのである。
　本来は日本という国の存在理由、つまり国民の想いや理念が初めにあって、それを実現するための手段として主義、主張があり、それを形にした行動基準が憲法なのである。国民の想いや理念を抜きにした憲法は、魂の入らない単なる法規でしかない。
　今日の日本が、日本人の根本原理となる想いや理念のない日本国憲法を民主主義の土台にしているということは、形だけの見せかけの民主主義を通用させているわけで、一部のマスコミや宗教家、三権をつかさどる役人など小賢しい権力者がいくらでも民主主義の精神を自分勝手に解釈し、悪用することができるということである。そしてそれが、今日の権力者の腐敗につながっている。
　早い話が役人の腐敗は、自分たちの行動や政策を、「国（家）のため」という大義名分で正当化している。一見もっともらしいが、これは民主主義を、勝手に自分に都合よく解釈しているのである。
　本当の民主主義国家では、国民の利益が国家に優先する。「人民の、人民のための、人民による政治（行政）」が民主主義の根本精神だから、「国家のために」国民を犠牲にするという政策は、よほどの理由がなければ罷り通るはずがない。
　ところが役人は、三権という民主主義の権力者の立場を利用し、お上に逆らわないＤＮＡを持つ国民に「国家のため」という大義名分を押しつけているのである。薬事行政や年金、道路行政、金融政策のはてまで、すべて国のためという名目で国民が置き去りにされている。
　多くの国民は、理念の入らない形だけの民主主義しか知らないから、これに反論できない。本当の民主主義、民主国家というのは、役人など統治機構に携わる者は権力を行使するのではなく、国民に奉仕する公僕であって、国民がその権力の行使を厳しく監視して初めて機能するのである。
　国民は、主権が自分たちにあるという強い思いなり、理念を持つことで初めて本当の民主主義が機能するのであって、理念をおろそかにした結果が、今日の確認の腐敗を招き、官僚国家を現出しているのである。
　民主主義というのは簡単にいえば、アメリカの、というよりイギリスなどアングロサクソンの国ではぐくまれた理念から生まれている。
　日本からみれば、これは他国の理念である。とはいっても、べつに６０年も使い続けた民主憲法を否定しているわけではない。移入された民主主義でもいっこうにかまわないが、しっかりした国民の想いというか、理念の裏づけが必要だといっているのである。
　学校教育で魂の入らない日本国憲法を覚えさせる以前に、民主主義を必要とする日本や日本人の論議をしなければならないのである。
　想いや理念のないまま、何の抵抗もなく新しい権力者を受け入れるのは日本人の悲しいＤＮＡである。
　しかし、理念がなくても組織は動く。これが問題なのである。戦前は、主権者である天皇ためという理念があった。その前の徳川３００年に理念らしい理念はなかった。戦国時代、天下をとった信長、秀吉、家康の３大名のうち、理念を明確に持っていたのは「天下布武」を旗印にした信長だけであった。弱小大名の信長が、天下統一に一歩踏み出すことのできた強さと発想は、ただ一人天下を統一する明確な理念を持っていたからに他ならない。
　秀吉の関白や太閤はしょせん太政大臣の敬称でしかないし、幕府を開いた家康も将軍としてだから、その上に天皇の存在がある。つまり有史以来、藤原氏の摂関政治にしろ、武家の幕府にしろ、いずれも上に天皇をいただいている。
　天皇をいただいているということが日本人の尊厳であり、想いであり、あらゆる理念の源であった。信長以外の権力者は、この理念を土台にしてその統治体制を築き上げたのである。
　したがって権力者の政治体制がどう変わろうが、天皇が存在さえしていれば、日本人は日本国民としてその理念を論議する必要はなかったのである。
　理念を改めて論議しなくても、新しい権力者が上に天皇を抱く限り、新しい政治組織は国民に受け入れられた。もちろん、天皇親政の時代を含めてである。
　その意味で、６０年前の新しい政治形態、民主主義の日本国憲法も日本国民に受け入れられるはずであった。いや、現実に受け入れられたのである。名目は何であれ、天皇の存在が認められる民主主義だったからである。
　国民はこれまでのように、理念を論議することもなく新しい政治体制を受け入れた。そしてそこから三権という権力者や、多くの国民に与えられた自由から、マスコミや宗教など新しい権力者を生まれたのである。
　ところがこれらの権力者の横暴や腐敗が始まると、しだいに６０年前の権力の委譲に大きな問題があることが明らかになってきた。
　それは有史以来、国民の尊厳のよりどころであった天皇が、主権者から象徴にかわり、国民自身が主権者になったという事実である。ということは、国民の理念の源が「（主権者である）天皇のため」から、「国民のため」にかわったのである。
　しかし、悲しいかな。有史以来、お上に逆らったことのない日本国民は、自らを主体にした国家や国民の存在を考えようとする、発想も意思も持ち合わせていなかったのである。多くの国民は、天皇の存在が認められる政治体制であれば、日本や日本人の尊厳は守られる、理念など論議する必要はないと単純に考えていたのである。
　役人に限らず、民主主義下の新しい権力者たちは、その国民の無知につけこんだ。そして６０年間、権力をむさぼりつくし、腐敗した姿をいま無様にさらけ出している。
　今こそ日本人は、その存在について明確な理念を持つべきなのである。民主主義の国家をつくりたいのであれば、まず主権が国民にあるという主権在民の理念を強く持たなければならない。この血の通った魂を持つことで、初めて公僕としての役人を監視することができるのである。
　今日の日本は、政党も役人も、企業や教育、家庭や福祉など戦後日本のあらゆる分野で、その行動の前提となるべき理念が欠如している。今これらの政策や組織が直面している問題の多くは、その基盤のなるべき理念を見出すことで、これによって、新たな指針を与えられるものが少なくないはずである。
　バブル経済の破たん後、成果主義や徹底した合理化主義の経営が主流になっているが、国家にも、企業にも家庭にも、損得を超えた判断が時には必要なのではないか。
　罪を犯したらすべて刑法で裁かれなければならないのか、人情や友情の入りこむ隙はないのか。家庭で、どうして人生が話し合われないのか。
　こうした問題は、すべての分野でその存在についての想いや理念が欠如していることから来ている。理念のない国家や国民、企業や家庭は、いずれ腐敗したり蹂躙（じゅうりん）されたりして衰退することになる。
　役人を腐敗させているのは、国民側にも責任があるということである。いまこそ、本当の民主主義を手に入れるために、国民が主権者としての明確な理念を持てば、腐敗した小役人を排除することなど決して難しいことではないのである。
　私たちは何者で、日本とは日本人とはどういう存在なのか。今こそ、その想いを理念として語らなければならない。
　すべての日本人が、主権者として簡単な想いを語ったとき、小役人が悪事を働く余地などまったくなくなるのである。このまま悪徳官僚や役人をのさばらせてはならない。
　　　
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>戦後、６０年前にアメリカ主導のＧＨＱから授けられた、見せかけではない、本当の民主主義とは何だったろうか。これが分かれば、国民は本当の権力者になり、悪徳役人をこの国から排除することができるのである。</p>
<p>　実は、よく考えてほしいのだが、戦後の民主主義は形からスタートしている。具体的にいえば、現行の日本国憲法が、日本の民主主義の原点となっているのである。というより、日本国憲法が日本という国の形態、つまり国体の原点になっている。<br />
　しかしこれは、少し変ではないか。憲法というのはあくまでも法（のり、規則）であって、精神ではない。戦後の日本は、精神や理念を抜きにして、その行動基準を定めた憲法という形を土台にしてスタートしているのである。</p>
<p>　本来は日本という国の存在理由、つまり国民の想いや理念が初めにあって、それを実現するための手段として主義、主張があり、それを形にした行動基準が憲法なのである。国民の想いや理念を抜きにした憲法は、魂の入らない単なる法規でしかない。</p>
<p>　今日の日本が、日本人の根本原理となる想いや理念のない日本国憲法を民主主義の土台にしているということは、形だけの見せかけの民主主義を通用させているわけで、一部のマスコミや宗教家、三権をつかさどる役人など小賢しい権力者がいくらでも民主主義の精神を自分勝手に解釈し、悪用することができるということである。そしてそれが、今日の権力者の腐敗につながっている。</p>
<p>　早い話が役人の腐敗は、自分たちの行動や政策を、「国（家）のため」という大義名分で正当化している。一見もっともらしいが、これは民主主義を、勝手に自分に都合よく解釈しているのである。<br />
　本当の民主主義国家では、国民の利益が国家に優先する。「人民の、人民のための、人民による政治（行政）」が民主主義の根本精神だから、「国家のために」国民を犠牲にするという政策は、よほどの理由がなければ罷り通るはずがない。</p>
<p>　ところが役人は、三権という民主主義の権力者の立場を利用し、お上に逆らわないＤＮＡを持つ国民に「国家のため」という大義名分を押しつけているのである。薬事行政や年金、道路行政、金融政策のはてまで、すべて国のためという名目で国民が置き去りにされている。</p>
<p>　多くの国民は、理念の入らない形だけの民主主義しか知らないから、これに反論できない。本当の民主主義、民主国家というのは、役人など統治機構に携わる者は権力を行使するのではなく、国民に奉仕する公僕であって、国民がその権力の行使を厳しく監視して初めて機能するのである。<br />
　国民は、主権が自分たちにあるという強い思いなり、理念を持つことで初めて本当の民主主義が機能するのであって、理念をおろそかにした結果が、今日の確認の腐敗を招き、官僚国家を現出しているのである。</p>
<p>　民主主義というのは簡単にいえば、アメリカの、というよりイギリスなどアングロサクソンの国ではぐくまれた理念から生まれている。<br />
　日本からみれば、これは他国の理念である。とはいっても、べつに６０年も使い続けた民主憲法を否定しているわけではない。移入された民主主義でもいっこうにかまわないが、しっかりした国民の想いというか、理念の裏づけが必要だといっているのである。</p>
<p>　学校教育で魂の入らない日本国憲法を覚えさせる以前に、民主主義を必要とする日本や日本人の論議をしなければならないのである。</p>
<p>　想いや理念のないまま、何の抵抗もなく新しい権力者を受け入れるのは日本人の悲しいＤＮＡである。<br />
　しかし、理念がなくても組織は動く。これが問題なのである。戦前は、主権者である天皇ためという理念があった。その前の徳川３００年に理念らしい理念はなかった。戦国時代、天下をとった信長、秀吉、家康の３大名のうち、理念を明確に持っていたのは「天下布武」を旗印にした信長だけであった。弱小大名の信長が、天下統一に一歩踏み出すことのできた強さと発想は、ただ一人天下を統一する明確な理念を持っていたからに他ならない。</p>
<p>　秀吉の関白や太閤はしょせん太政大臣の敬称でしかないし、幕府を開いた家康も将軍としてだから、その上に天皇の存在がある。つまり有史以来、藤原氏の摂関政治にしろ、武家の幕府にしろ、いずれも上に天皇をいただいている。<br />
　天皇をいただいているということが日本人の尊厳であり、想いであり、あらゆる理念の源であった。信長以外の権力者は、この理念を土台にしてその統治体制を築き上げたのである。</p>
<p>　したがって権力者の政治体制がどう変わろうが、天皇が存在さえしていれば、日本人は日本国民としてその理念を論議する必要はなかったのである。<br />
　理念を改めて論議しなくても、新しい権力者が上に天皇を抱く限り、新しい政治組織は国民に受け入れられた。もちろん、天皇親政の時代を含めてである。</p>
<p>　その意味で、６０年前の新しい政治形態、民主主義の日本国憲法も日本国民に受け入れられるはずであった。いや、現実に受け入れられたのである。名目は何であれ、天皇の存在が認められる民主主義だったからである。<br />
　国民はこれまでのように、理念を論議することもなく新しい政治体制を受け入れた。そしてそこから三権という権力者や、多くの国民に与えられた自由から、マスコミや宗教など新しい権力者を生まれたのである。</p>
<p>　ところがこれらの権力者の横暴や腐敗が始まると、しだいに６０年前の権力の委譲に大きな問題があることが明らかになってきた。<br />
　それは有史以来、国民の尊厳のよりどころであった天皇が、主権者から象徴にかわり、国民自身が主権者になったという事実である。ということは、国民の理念の源が「（主権者である）天皇のため」から、「国民のため」にかわったのである。</p>
<p>　しかし、悲しいかな。有史以来、お上に逆らったことのない日本国民は、自らを主体にした国家や国民の存在を考えようとする、発想も意思も持ち合わせていなかったのである。多くの国民は、天皇の存在が認められる政治体制であれば、日本や日本人の尊厳は守られる、理念など論議する必要はないと単純に考えていたのである。</p>
<p>　役人に限らず、民主主義下の新しい権力者たちは、その国民の無知につけこんだ。そして６０年間、権力をむさぼりつくし、腐敗した姿をいま無様にさらけ出している。</p>
<p>　今こそ日本人は、その存在について明確な理念を持つべきなのである。民主主義の国家をつくりたいのであれば、まず主権が国民にあるという主権在民の理念を強く持たなければならない。この血の通った魂を持つことで、初めて公僕としての役人を監視することができるのである。<br />
　今日の日本は、政党も役人も、企業や教育、家庭や福祉など戦後日本のあらゆる分野で、その行動の前提となるべき理念が欠如している。今これらの政策や組織が直面している問題の多くは、その基盤のなるべき理念を見出すことで、これによって、新たな指針を与えられるものが少なくないはずである。</p>
<p>　バブル経済の破たん後、成果主義や徹底した合理化主義の経営が主流になっているが、国家にも、企業にも家庭にも、損得を超えた判断が時には必要なのではないか。<br />
　罪を犯したらすべて刑法で裁かれなければならないのか、人情や友情の入りこむ隙はないのか。家庭で、どうして人生が話し合われないのか。</p>
<p>　こうした問題は、すべての分野でその存在についての想いや理念が欠如していることから来ている。理念のない国家や国民、企業や家庭は、いずれ腐敗したり蹂躙（じゅうりん）されたりして衰退することになる。</p>
<p>　役人を腐敗させているのは、国民側にも責任があるということである。いまこそ、本当の民主主義を手に入れるために、国民が主権者としての明確な理念を持てば、腐敗した小役人を排除することなど決して難しいことではないのである。</p>
<p>　私たちは何者で、日本とは日本人とはどういう存在なのか。今こそ、その想いを理念として語らなければならない。<br />
　すべての日本人が、主権者として簡単な想いを語ったとき、小役人が悪事を働く余地などまったくなくなるのである。このまま悪徳官僚や役人をのさばらせてはならない。<br />
　　　</p>
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		<title>【この国の想い】日本人の悲しきＤＮＡ─官僚国家２</title>
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		<pubDate>Wed, 25 Jun 2008 13:22:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ttt</dc:creator>
				<category><![CDATA[この国の想い]]></category>

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		<description><![CDATA[端的に言って、役人の腐敗や横暴を排除するには、民主主義体制下での権力者である国民がそれをやるしか方法がない。
　ところが、繰り返しになるがその国民は、お上に逆らわないというＤＮＡに支配されている。これではいつまでたっても、悪徳役人を排除することはできない。今日の日本は、そのジレンマの中でもがき苦しんでいるのである。
　ではどうするか。解決策は二つ。一つは、役人自身の良識に訴えて自浄作用が働くのをじっと待つことだが、これはすでに期待するほうが無理だという段階にきている。
　ということは、もう一つの解決策、国民が本当の権力者に変身するしか方法がない。日本人のＤＮＡがどうしたという段階ではないのである。
　こんな風にいうと、「それではこれまでの日本は、主権在民の民主主義ではなかったのか。主権のある国民が、権力者ではなかったのか」とお叱りを受けそうだが、まさにその通り、戦後から６０年、これまでの日本は本当の民主主義国家ではなかった。名ばかりの民主主義だったのである。
　もし本当の民主主義国家が機能していたなら、こんな官僚国家になるはずがなかった。官僚や役人はもっと国民から監視され、奉仕させられていたはずなのである。
　どうしてこんなことになったかといえば、それはガラガラポン、つまり新しい権力者が現れてすべてが入れ替わったとき、もっと具体的にいえば戦後、ＧＨＱ（日本占領下の連合軍総司令部）から現行憲法を示され、それを基本的に受け入れて日本が民主主義国家として歩み出した時に、すべての起因があった。
　このときの権力者は、ＧＨＱであった。もっと現実的にいえば、それはアメリカであった。しかし彼らは、一時的に進駐はしてきたものの、権力者として日本に提示したのは平和憲法といわれる現行の日本国憲法である。
　おかげで日本は、主権在民の民主主義国家として戦後復興のスタートを切った。戦前までの主権者であり権力者であった天皇は、この憲法で、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴と位置づけられた。
　この流れをみると、いっけん何の問題もない。
　ときの権力者であるＧＨＱは、置き土産として民主憲法を置いて行ったのである。押し付けだったのか、もらい受けたのかは知らないが、お上に逆らわない日本人はこれをありがたくもらい受けた。
　問題はここ。これまでの新しい権力者は、新しい体制を国民に押しつけると、間違いなくその体制の上に立つ権力者となった。そして、それを素直に受け入れたから、お上に逆らわない日本人のＤＮ　Ａが生まれたのである。
　ところが、今度の権力者は、「あなた方国民が、新しい権力者になりなさい」といって、さっさと身を引いてしまったのである。スマートだといえばスマートだが、無責任といえばかなり無責任である。
　権力を渡された日本国民は、これをどうしたか。
　６０年を経た結論からいえば、実は、誰も本当の民主主義を知らなかった。憲法で決められた、国民の参政権や信教、表現の自由といった主権在民の形、三権分立の国家統治の形、こういった形式上の民主主義、建前をひたすら守ることで、日本は戦後の民主主義国家を展開し、維持してきたのである。
　しかし本物の民主主義ではないから、たとえば政党は戦争放棄部分だけを強調するとか、宗教はその自由を盾に過激にオカルト化したり政治色を強めたりするとか、またマスコミは新しい権力者として偏った報道をするとか、それぞれの権力者が勝手な方向に民主主義を利用そてきた。
　そしてその結果として、すべての権力者が腐敗し、衰退しないまでも色あせてしまったのである。
　もちろん国家の統治機能である司法、行政、立法の三権も時と共に腐敗していった。日本に限らず、世界のあらゆる権力体制がほぼ３０年で腐敗することは歴史が証明している。日本の見せかけの民主主義は６０年も続いているのである。腐敗するのは、当然といえば当然である。
　三権のうち、最初に立法府の選良（議員）たちが腐敗し、やがてその腐敗は行政の役人たち、そして最近は警察や弁護士ら司法関係者らの不祥事へと広がっている。民主主義の権力者、三権はいずれも腐敗から崩壊への道を進んでいるのである。
　もっとも、立法府の選良たちは直接国民の審判にさらされるし、司法に携わる者の不祥事はまだ自浄作用が働いているかに見える。ひとり、行政の官僚や役人だけは、歯止めもなくひたすら腐敗を続け、いまその極みに達しているといっていい。
　しかも彼らの腐敗を排除し、天誅を下すすべや知恵を国家も国民も持ち合わしていないかに見える。官僚国家は太りに太っていくのである。
　しかし、彼ら悪徳官僚を撲滅する方策は見えてきている。彼らは、国民が主権を持たない見せかけの未熟な民主主義を逆手にとって、国家のため、ひいては国民のためという大義名分で悪徳の限りを尽くしているのである。
としたら国民は、彼らに本当の民主主義、つまり国民に奉仕する本当の役人を求めればいいのである。
　とはいえ、それは口で言うほど容易なことではない。
　戦後６０年間、お上に逆らわない日本人のＤＮＡは、彼ら官僚や役人にまともに自分たちへの奉仕など求めなかった。ひたすら、役人から利権をあずかることに汲々としてきたのである。役人をのさばらせたのは、むしろ国民のほうだったかもしれない。
　しかし、だからといってこのまま悪徳役人をのさばらせておくことは許されない。６０年間も彼らをのさばらせてきたということは、民主主義国家をスタートさせた当初の段階で何か欠けていたものがあったということである。
　いったい何が欠けていたのか。それさえ分かれば、役人の未曽有の腐敗をこの国から排除できるかもしれないのである。
（この項続く）
　
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			<content:encoded><![CDATA[<p>端的に言って、役人の腐敗や横暴を排除するには、民主主義体制下での権力者である国民がそれをやるしか方法がない。<br />
　ところが、繰り返しになるがその国民は、お上に逆らわないというＤＮＡに支配されている。これではいつまでたっても、悪徳役人を排除することはできない。今日の日本は、そのジレンマの中でもがき苦しんでいるのである。</p>
<p>　ではどうするか。解決策は二つ。一つは、役人自身の良識に訴えて自浄作用が働くのをじっと待つことだが、これはすでに期待するほうが無理だという段階にきている。<br />
　ということは、もう一つの解決策、国民が本当の権力者に変身するしか方法がない。日本人のＤＮＡがどうしたという段階ではないのである。</p>
<p>　こんな風にいうと、「それではこれまでの日本は、主権在民の民主主義ではなかったのか。主権のある国民が、権力者ではなかったのか」とお叱りを受けそうだが、まさにその通り、戦後から６０年、これまでの日本は本当の民主主義国家ではなかった。名ばかりの民主主義だったのである。<br />
　もし本当の民主主義国家が機能していたなら、こんな官僚国家になるはずがなかった。官僚や役人はもっと国民から監視され、奉仕させられていたはずなのである。</p>
<p>　どうしてこんなことになったかといえば、それはガラガラポン、つまり新しい権力者が現れてすべてが入れ替わったとき、もっと具体的にいえば戦後、ＧＨＱ（日本占領下の連合軍総司令部）から現行憲法を示され、それを基本的に受け入れて日本が民主主義国家として歩み出した時に、すべての起因があった。</p>
<p>　このときの権力者は、ＧＨＱであった。もっと現実的にいえば、それはアメリカであった。しかし彼らは、一時的に進駐はしてきたものの、権力者として日本に提示したのは平和憲法といわれる現行の日本国憲法である。<br />
　おかげで日本は、主権在民の民主主義国家として戦後復興のスタートを切った。戦前までの主権者であり権力者であった天皇は、この憲法で、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴と位置づけられた。</p>
<p>　この流れをみると、いっけん何の問題もない。<br />
　ときの権力者であるＧＨＱは、置き土産として民主憲法を置いて行ったのである。押し付けだったのか、もらい受けたのかは知らないが、お上に逆らわない日本人はこれをありがたくもらい受けた。</p>
<p>　問題はここ。これまでの新しい権力者は、新しい体制を国民に押しつけると、間違いなくその体制の上に立つ権力者となった。そして、それを素直に受け入れたから、お上に逆らわない日本人のＤＮ　Ａが生まれたのである。<br />
　ところが、今度の権力者は、「あなた方国民が、新しい権力者になりなさい」といって、さっさと身を引いてしまったのである。スマートだといえばスマートだが、無責任といえばかなり無責任である。</p>
<p>　権力を渡された日本国民は、これをどうしたか。<br />
　６０年を経た結論からいえば、実は、誰も本当の民主主義を知らなかった。憲法で決められた、国民の参政権や信教、表現の自由といった主権在民の形、三権分立の国家統治の形、こういった形式上の民主主義、建前をひたすら守ることで、日本は戦後の民主主義国家を展開し、維持してきたのである。</p>
<p>　しかし本物の民主主義ではないから、たとえば政党は戦争放棄部分だけを強調するとか、宗教はその自由を盾に過激にオカルト化したり政治色を強めたりするとか、またマスコミは新しい権力者として偏った報道をするとか、それぞれの権力者が勝手な方向に民主主義を利用そてきた。<br />
　そしてその結果として、すべての権力者が腐敗し、衰退しないまでも色あせてしまったのである。</p>
<p>　もちろん国家の統治機能である司法、行政、立法の三権も時と共に腐敗していった。日本に限らず、世界のあらゆる権力体制がほぼ３０年で腐敗することは歴史が証明している。日本の見せかけの民主主義は６０年も続いているのである。腐敗するのは、当然といえば当然である。<br />
　三権のうち、最初に立法府の選良（議員）たちが腐敗し、やがてその腐敗は行政の役人たち、そして最近は警察や弁護士ら司法関係者らの不祥事へと広がっている。民主主義の権力者、三権はいずれも腐敗から崩壊への道を進んでいるのである。</p>
<p>　もっとも、立法府の選良たちは直接国民の審判にさらされるし、司法に携わる者の不祥事はまだ自浄作用が働いているかに見える。ひとり、行政の官僚や役人だけは、歯止めもなくひたすら腐敗を続け、いまその極みに達しているといっていい。<br />
　しかも彼らの腐敗を排除し、天誅を下すすべや知恵を国家も国民も持ち合わしていないかに見える。官僚国家は太りに太っていくのである。</p>
<p>　しかし、彼ら悪徳官僚を撲滅する方策は見えてきている。彼らは、国民が主権を持たない見せかけの未熟な民主主義を逆手にとって、国家のため、ひいては国民のためという大義名分で悪徳の限りを尽くしているのである。<br />
としたら国民は、彼らに本当の民主主義、つまり国民に奉仕する本当の役人を求めればいいのである。</p>
<p>　とはいえ、それは口で言うほど容易なことではない。<br />
　戦後６０年間、お上に逆らわない日本人のＤＮＡは、彼ら官僚や役人にまともに自分たちへの奉仕など求めなかった。ひたすら、役人から利権をあずかることに汲々としてきたのである。役人をのさばらせたのは、むしろ国民のほうだったかもしれない。</p>
<p>　しかし、だからといってこのまま悪徳役人をのさばらせておくことは許されない。６０年間も彼らをのさばらせてきたということは、民主主義国家をスタートさせた当初の段階で何か欠けていたものがあったということである。<br />
　いったい何が欠けていたのか。それさえ分かれば、役人の未曽有の腐敗をこの国から排除できるかもしれないのである。</p>
<p>（この項続く）<br />
　</p>
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