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F1推理 スパイ事件の浮かんできたかすかな疑惑

F1界で大騒ぎになっているスパイ事件、事の始まりはフェラーリの幹部社員、ナイジェル・ステップニーの単なる破壊工作疑惑であった。その第一報は、今年6月22日に、警察への告発というニュースになって流れた。

 それが、警察の家宅捜査などを経て、7月3日にフェラーリが突如、極秘情報漏洩などの疑いで、ステップニーを解雇。同時にマクラーレンのコフラン・チーフデザイナーを共同被疑者として、ステップニーと一緒にロンドン高等裁判所に告訴した。スパイ事件への発展である。

 この告訴を受けてイギリスの捜査当局がコフランの家宅捜査などを行い、その過程で彼のスパイ容疑の全容が明らかとなった。

 今年の4月、マクラーレンのコフランはフェラーリの何者からか、フェラーリのマシンに関する機密情報を受け取った。コフランはこれをコピー店でコピーしたが、780ページにもわたる文書だったため、コピー店の従業員に発見されることとなり、従業員はこれをフェラーリ側に通報し、事件が発覚するところとなったというものである。通報したのは、6月20日前後とみられている。

 ここから事件は、大きく二つに分かれる。

 一つは、ステップニーとコフランはホンダへの移籍を画策し、売り込みを図っていた、という共謀スパイ容疑である。そこで、貴重な役割をするのがホンダの行動である。
 ホンダは、事件が明らかになった後の7月6日、チームのニック・フライ代表が6月に、仕事の機会を探る目的のステップニーと、彼が連れてきたコフランに会ったことを、しぶしぶ認めた。しぶしぶというのは、その前からホンダがフェラーリの誰かと接触していると噂され、その事実を認めていなかったからである。一説では、すでに4月ごろ、ステップニーと2度接触したとも言われている。

 この時点まで、スパイ事件は個人犯罪であった。
 個人犯罪である限り、一連の事件は、マクラーレンの社員を巻き込んだとはいえ、フェラーリによる裏切り社員への制裁で終わるのかに見えた。ただ、不思議なのは、その機密情報はステップニーから受け取ったものではない、誰かが郵送で送ってきたものだとコフランが主張したことである。一緒にホンダへ売り込みに行った仲なのに、何を今更…、ステップニーが渡したのにきまっているというのが正直な感想であった。

 ところが、この個人犯罪の裏で、フェラーリとマクラーレンの死闘が演じられていた。
 その舞台が、F1の統括組織、FIAによるマクラーレンへの公聴会である。テーマはもちろん、マクラーレンがこの機密情報漏洩事件に関与したか、否かである。

 個人犯罪の情報がニュースとなって流れる中、FIAは、コフランの供述書の証言から、彼以外のマクラーレンの幹部数人に機密書類が送られてきたことを話していた、という事実をつかんでいたのである。これは個人犯罪ではなく、企業(組織)犯罪になる。FIAとして捨てておけるはずがなかった。

 組織犯罪ということになれば、現在常勝フェラーリを抑えてトップを走っている、マクラーレンのチャンピオンシップのポイントやドライバーのハミルトン、アロンソの得点まで抹消されたり、今年のレースをすべて失う可能性もある。フェラーリにとっては、願ったり叶ったりの公聴会が開催されることとなった。

 その公聴会が先週の木曜、7月26日、パリにあるFIAの世界モータースポーツ評議会の臨時会議として代理人を召喚して行われ、マクラーレンは有罪だが、証拠不十分で処分は行わないという決定を下した。もう少し詳しく言えば、マクラーレンはフェラーリのデータを所有していたにもかかわらず、そこから利益を得たとの証拠が不十分なため、処分を科さないというものである。ただし、今後新たな証拠が現れれば、マクラーレンが今季及び来季の選手権から除外される可能性も残るという、含みを残した判決となった。

「有罪だが、現時点では証拠不十分で処分なし」
 なんとも、政治的配慮にあふれた、両者の顔を立てた、いかにも権謀術数のF1らしい決着に仕方である。普通なら、これで一件落着というところだが、なぜか今回は違っていた。
 
 フェラーリがなんとも不満で、FIAとは別の法的手段を取ることも考慮しているようなのである。イギリス『BBC放送(BBC)』に対し、同社のスポークスマンは、フェラーリの機密情報を所有していたのにもかかわらず現在タイトル争いをしているマクラーレンが罰せられないことに対しパリでの評議会後、『あらゆるオプションを検討』していると話している。(F1-LIVE.com)

 これが、今日時点のニュースである。
 そして、公聴会後のフェラーリの判決に対する異常なほどの不満、執着から、フェラーリの本音が少し見えてきたような気がする。発端からの一連の事件は、マクラーレンの追い落としに収れんされているのではないか─。かすかな疑惑である。

 もちろん、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)するF1界のことだから、この先何がどう展開するか、予断は許さない。しかし、現時点でも、解決するべき疑惑はいくつか浮かんでいる。

 その一つは、事件の発端から、筋書きがあまりにも出来すぎている。二つ目は、個人犯罪、それも自社の社員を告発して、フェラーリに何の得があったのか。三つ目は、機密情報を持って、ホンダへ転職の売り込みに行こうという人物が、どうしてマクラーレンの同僚に持っている事実を話さなければならなかったのか。やることが矛盾している。

 四つ目は、これが一番キーになるような気がするが、マクラーレンのコフランに送られた機密情報は、フェラーリのステップニーから送られたものとは認めていない。ステップニーも断固これを否定している。
 とすれば、これはあくまで可能性だが、フェラーリの別の誰かが、謀略のために送りつけたとも考えられる。私らは、ホンダに転職を売り込みに行く仲というニュースに、とうぜんステップニーが渡したものと、あるいはすでに洗脳されていたかもしれないのである。

 挙げれば、まだまだ疑惑はある。その真相は明らかにされるのであろうか。

“改革”に腰が引けた安倍総理の器が敗因

自民党が、歴史的大敗を喫した。何が、原因だったのだろうか。

 安倍自民党総裁が総理に就任して以来、ずっと気になっていたことがある。それは、”改革“との距離である。
 改革路線との距離と言い換えてもいいし、改革路線を強力に推し進めた小泉前総理との距離でもいいし、改革という言葉との距離でもいい。とにかく安倍総理は、就任して以来ずっと、改革とに距離を置いてきた。というより、腰が引けていた。
 

 これは、本人がいくら否定しようとも、国民の大多数が感じてきた事実である。どうして改革に距離を置いたのであろうか。
 おそらくそれは、小泉前総理を意識してのことに違いない。改革一本やりではない自分色を出したかったのか、抵抗勢力への配慮か、あるいはもっと深い理由、たとえば父親がなしえなかった政治理念を、この機会に実現することで前総理を超えた存在になることを意識したのかもしれない。いずれにしても、そこには改革などという、プロパガンダ(政治的宣伝)、政治的小細工の入り込む余地がなかった。

 もしそうだとすれば、総理としては、問題はない。何も、前任者の路線に汲々とする必要はないのである。
 しかし、この腰の引けた感じがする改革路線の変更は、党の方針や選挙対策としてはいかがなものだろうか。安倍総理はこれを、プロパガンダとして使い分ける度量を持たなければならなかったのである。

 小泉前総理は、改革路線を徹底的に推し進めることで、先の総選挙で圧勝した。抵抗勢力を演出し、刺客という名の新人を大量に立候補させ、守旧派の一掃、革新勢力の躍進を印象づけた。これが国民に受け入れられたのは、単にブームになったのではなく、バブル破たん後の経済の低迷、閉そく感を打破するキーワードになると信じたからである。あれほどの大勝は、改革は、国民の総意に近いものであった。

 そして、その後継者に指名された安倍総理も、とうぜん改革路線を強力に踏襲すると、国民は信じた。 
 ところがなぜか、安倍総理は改革に距離を置き、国民を裏切ったのである。改革路線の後継者が、その路線を捨てて、何が残る。残るのは、単にくそまじめな若造一人である。
 

 国民は、いうことをきかないこんな若造に、なんの義理もない。そのうえ、指導力にかけて柔軟性がないとあっては、国民にそっぽを向かれて当然である。大敗もやむなし、負けるべくして、敗れているのである。

 それでは、自民党を救う手はなかっただろうか。実は、あった。
 小泉前総理は、改革路線を強力に推し進めたが、本当にこの国を改革しようと思っていただろうか。おそらく、そこまで本気で考えていない。その証拠に、個人的執念である郵政改革は成し遂げたが、腐敗する官僚制度を改革したわけでも、メスを入れたわけでもなかった。

 この国を本気で改革しようと思わなかったばかりか、おそらく、改革ができるとも思っていなかった。それでも彼は、改革路線の提唱が国民に必要とされていることを、十分に認識していた。だから、これをプロパガンダに利用したのである。

 この立場は、安倍総理になっても何ら変わることがない。
 党のため、選挙に勝つため、これをポロパガンダに利用すればよかったのである。それが、政治家というものである。

 というより、それを意図して使い分けられるのが、一流の政治家というものである。一流政治家の「器(うつわ)」といってもよい。

 残念なことに、安倍総理は、まだこの器ではなかった。見せかけの改革すら演出できないようでは、自民党の先が思いやられる。

 大敗後、安倍総理は急に改革を言い出しているが、もう遅い。
 いや、本気で官僚改革をやれば、ひょっとして安倍ブームが来るかもしれない。改革は、プロパガンダでもいいんだよ、プロパガンダで…。

男運の探究 ─その10─ 悪い男は意外に少ない

男運の悪さを決めるのは、男が悪運を運んでくるらだろうか、それとも女性が悪運を求めるからだあろうか。
 別の言い方をすれば、女性の男運の悪さを決めるのは、男性なのだろうか、それとも女性自身なのだろうか。

 もっと端的な言い方をすれば、男運が悪いのは、男性の責任だあろうか、それとも女性の責任だろうか。

 ここまで論を煮つめると、男運の正体が見えてくる。
 男性に責任がある場合は、その男がはっきり悪(わる)の場合である。暴力、悋気(りんき、やきもちの意)、虚言癖、浪費癖、盗癖と、この辺りまでは誰にでもわかる悪である。
 ところが、貧乏人、浮気の常習者となると、悪と決めつけていいかどうか問題がある。

 貧乏人は、たまたま貧乏なのであって、本人が悪だから貧乏人になっているわけではない。貧乏だからこそ、夫婦のきずなが深まることもある。
 浮気の常習は本人が悪のように思えるが、これも女性次第。はっきりいって、今どき浮気の一つもできないようなくそ真面目な男性と付き合ったり、夫婦になったりして、新鮮で刺激的で楽しい人生が送れるとは、とても思えない。良妻賢母が求められ、そうなることに女性も満足していた時代ならともかく、多少なりと女性の自我が認められる今日、男性の浮気などにいちいち目くじらを立てていられない。浮気はされても、自分にどれだけ誠意を見せるかのほうが、はるかに問題なのである。

 こう考えてくると、悪い男運に、男性が責任のあるケースは、かなり限られてくる。
 不幸にして、はっきり悪と分かる男に出会ったら、これはもう未練を残さず別れるしかない。「相手は、私を不幸にする悪だったんだ」と思えば、かなり好みの男であってもあきらめがつくというものだ。

 残りの男運の悪さのケースは、大半が女性側に問題がある。パーセントにすれば、男運が悪い女性のうち、男性に問題があるのは多くて10%から20%、残りの80%は女性自身に問題がある。
 なぜ、こう断言できるかといえば、悪と分類される男の中から、貧乏人と浮気の常習者を取り除くと、本当の悪はかなり限定される。世の中には、いい男も少ないが、悪い男も意外に少ないのである。

 さてそうなると、男運を悪くする女性たちの、一体何が問題なのであろうか。
 男と女が出会って、特別な関係ができるまで、そこには男運の悪さなど何もない。
 本当に恋が燃えている間は、男運がどうのこうのという問題は発生しない。ところが、恋は永遠ではない。燃えた炎は必ず消える運命にある。
 そう、男運の問題は、この炎が消えかけたところから始まるのである。

 ここで、ちょっと一言。
 恋愛譚(たん)をやると、「愛」と「恋」の違いが必ず問題になる。そこで、逆に質問すると、百人百様、みんな勝手に解釈していることに驚く。ま、それで通用するなら勝手に使ってもいいのだが、正確には歴史的背景からして違ってくる。昔は、恋だけであった。
 とはいえ、そんなことをくどくどと説明するのも野暮だから、簡単に、「恋の対象は人間だけ、愛は人間以外にも動物や現象などにも使う、安易で便利な表現」と覚えておきたい。安易だから、「愛してます」と使えるわけで、恋心は、「恋してます」などという簡単な表現では伝えきれない、人間ならでは心のひだを持っている。 

 閑話休題(かんわきゅうだい)、話をもどす。
 燃え上っていた恋の炎が消えかかると、女性は狼狽(ろうばい)する。本能的に、炎を消すまいと思うのである。
 もちろん、狼狽しない女性もいる。そういう女性は、男性だけでなく、社会的にも強いのである。普通の親は、娘をそういう女性に育てたいと願っている。しかし、多くの女性は、そうでないから問題なのであり、可愛い存在なのである。

 恋の修業時代、遊び仲間の兄貴分から、彼の彼女のところへ、書類かなんかの届け物を持っていくように頼まれたことがあった。
「今日は会社が休みだから、起き上がるのが嫌でごろごろしていたのよ。散らかっているけど、いやでなかったら上がって…」
 アパートの部屋のドアを開けた兄貴分の彼女は、本当に寝ていたらしく、ネグリジェ姿だった。
「ここにきて、一緒に寝る? いいわよ」
 男と女の関係は、できるときには簡単にできてしまう。

「こんなこと聞いちゃいけないんだろうけれど、どうして兄貴と別れないんですか」
 ベッドの上の二人のたばこの煙が、ゆるゆるともつれあいながら天井に上っていく。彼女が体の関係で、兄貴分に執着しているとも思えない。まして、二人の恋は終わっているに違いない。
「意地、いや見栄みたいなものよ。友達への。今日だって、別の女と一緒だから約束すっぽかしたんでしょ」
「そんな…」
「いいのよ、いつでも別れられるんだから。また、遊びましょ、私でよかったら…」
 彼女は、三つか四つ年上である。
 それからしばらくの間、彼女に夢中になり、策を弄(ろう)して兄貴分と別れさせた。

 3年ほどして、ばったり麻布のバーで、彼女と出会った。一人で飲んでいた。
「まだ、前の会社に勤めているの?」
「そうなの、相変わらず…。それに男も相変わらず…、こうして待ちぼうけくらっているんだから。わたし、男運がないのね、きっと」
 彼女は、ちょっと寂しそうな顔をした。
「また、別れさせてやるか」
「そお…」
 急に晴れやかな表情になって、しなだれかかってきた。
 そのとき、ふっと思ったのである。
「俺は、女性の弱みをもてあそぶ悪だな、きっと─」

 男運の悪い女性は、ほとんど消えたか、消えかけた恋に執着している。
 その理由は意地であったり、惰性であったり、見栄であったり、未練であったり。つまり、ずるずると男との関係が続く中で、男の悪を見たり、男を悪にしてしまうのである。
 そして、そこからの男女は悪のきずなで結ばれることになる。悪も、立派な男と女のきずななのである。とうぜん、恋の味がするから厄介である。

【恋愛心得の条其の10 真に悪の男は少なく、男運の良し悪しは女性の中にあると覚えよ】

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