魔性の探究;28 六本木から西荻窪へ
第四章 魔性戦争
Ⅳ.六本木から西荻窪へ
「行方知れずの涼子さんですが、借りていたアパートはそのままなのでしょうか。それとも親御さんがもう解約されてしまったとか…」
修二が、リリーにたずねた。
「そのままです。いえ、そのままになっているはずです」
一度断定した言い方をして、そのあとでリリーは言いなおした。そして、
「田舎のご両親は、娘さんがアパートに必ず戻ってくると信じているようです。そのとき借りている自分の部屋がなくなっていたら、本当に行くところがなくなって、路頭に迷うのではないかと…。それでお家賃を払い続けていらっしゃるようなんです」と、言葉をつけ加えた。
「そうですか」
修二は少し考えていたが、そのアパートの住所がわかるかと、リリーにたずねた。
リリーは、「ちょっとお待ちになって」といって席を立つと、ものの二、三分していくぶん大柄なハンドバックを手に戻ってきた。そしてそのバックから赤い手帳を取り出し、
「全部わかっていますわ。ご両親の住所も。修二さんは、これから彼女のアパートを訪ねてみようと思っていられるのでしょう?」と言い、修二がうなずくのを見て、「いまクルマの準備をさせていますから、もうしばらくお待ちになってください」という。
「リリーさんもご一緒されるのですか?」
クルマを準備するというのは、千里にも意外だったらしい。
「ええ、あなた方にだけ、ご迷惑をかけられませんからね。私も動ける範囲は、できるだけご一緒したいのです」
「わかりました。それで双葉涼子さんのアパートというのは、どこのあるのですか」
修二は、リリーの気持ちをくんですぐに承知した。
「ありがとう、修二さん。…それがちょっとここからは遠いんです、杉並の西荻窪ですわ」
それから小1時間後、修二ら3人を乗せたリリーのクラウンは首都高速4号の下り線、高井戸出口を降りて、環状7号から五日市街道を西荻窪に向けて走っていた。
「この道を走るのは何年ぶりかしら。以前はもっと欅(けやき)並木が残っていたような…。松原さん、この近くの南荻窪に住んでおられた五島さんを覚えていますか」
後部座席に千里と並んで座っているリリーが、ドライバーに話しかけた。ハンドルを握っているのは、もう何十年もリリーのクルマのドライバーを務めているという松原である。
「もちろん知っております、マダム。東日車両の五島会長さんでございましょう。マダムとは二、三度しかお宅をお訪ねしていませんが、私は何十回となくお送りいたしておりますから、決して忘れることはございません。それに、あんなに遊び上手と申しますか、遊び好きだった方はそんなにおられるものでは…」
実直そうな、松原の口調である。
「亡くなられてから、もう20年近いでしょうから、何を話しても時効ですよ、おホホ…」
リリーは昔を懐かしむかのように笑った。
「東日の五島さんって、よくは知りませんが財界でも活躍された方でしょう。そんなに遊び上手だったのですか」
助手席から修二が、口を挟んだ。
「そうなのよ、もちろん遊び上手とはいっても料亭での芸者衆を相手にした遊びですけれど…」
「えっ、六本木にも芸者さんがいたんですか?」
「いいえ、いま六本木にある料亭の島村は、以前は赤坂にあったのです。それが見ての通り赤坂がビジネス街に変わって、料亭が次から次に看板を下ろす中で、島村も本格的な料亭稼業をやめて六本木のビルに移ったのです」
「あ、それで島村はビルの1階が料亭という造りなのですね」
リリーの説明に、修二は合点がいった。
「修二さんは三業地という言葉をご存知ですか?」
今度はリリーが修二にたずねた。
「ええ、三業というのは料理屋と芸妓置屋と…。それとなんでしたっけ?」
「待合、出会い茶屋ですわ。今は料亭という使われ方があいまいで混同してますけれど、三業地では、芸者衆のもてなしを主にして、お酒以外の料理を仕出しでまかなう貸席型の待合を料亭と言いますのよ」
「え、それでは芸者さんのいる三業地で料亭というのは、自分で料理はつくらないのですか」
「その通りですわ。それがいつの間にか高級な日本料理店や割烹料理店が自分たちのことを料亭というようになったのです。それも最初のうちは芸者衆の呼べる料理店に限られていたのですけど、芸者衆がいない街が多くなって、最近では高級料理店を皆、料亭と呼ぶようになってしまったのです」
「あ、そういうことですか」
それは、修二のまったく知らない知識であった。
「ということは、赤坂にあったときの料亭島村は芸者衆のもてなしが中心の待合で、六本木に移った料亭島村は、芸者衆を呼ばない代わり自分で料理をつくる高級料理店ということですね」
「ま、簡単にいえばそういうことですね。それに芸者衆はいませんが、いまは宴席のお相手をするコンパニオンを呼ぶことができるのですよ、呼ぼうと思えばですけれど」
「コンパニオンですか…。僕はコンパニオンというのは、温泉とか、ホテルのパーティーにだけ来るのかと思っていました。水商売は奥が深いですね」
「おホホホ、奥が深いですか…」
修二の言い方がおかしかったのか、リリーは笑い転んだ。
「先ほどお話に出た東日の五島会長の遊びが上手というのは、島村が赤坂にあったころの話ですよね」
修二が、話題を戻した。
「そうなのです。この方は、遊びが上手というか床(とこ)上手というか。おホホホ」
リリーがまた笑った。
「床上手、ですか? セックスがテクニシャンということでしょう」
「ええ、それはもう、テクニシャンなどという生やさしいものではありません。どうしましょう、松原ちゃん。この若い方に話してもいいかしら?」
「それは、もうマダム。マダムにはお話になる資格がありますし、それに、それこそ時効ですから」
松原の声も笑っている。
「それじゃ、若い方の勉強にお話ししましょうか。…五島会長の芸者遊びは、それはもう徹底してましてね。芸者衆の間では、‘谷渡りの五島’とあだ名されていたのですよ」
「‘谷渡りの五島’ですか。谷渡りって、セックスの体位にある鶯の谷渡りのことでしょう?」
「まあ、修二さんは隅におけませんね。千里さん、あなた気をつけないと修二さんは芸者衆にもてているかもしれませんよ」
「本当ですか、リリーさん。私、本気で心配してしまいます」
千里が冗談めかして言う。
「僕は芸者遊びなんてしたことはありませんよ。それより、五島会長は鶯の谷渡りの名人だったのですか?」
修二はリリーの話に夢中である。
「名人などというものではありまねん。会長さんの谷渡りは体位ではないのです」
「体位ではない、と言いますと?」
修二が、助手席から完全に後部座席に身をよじった。
「ご自分と芸者衆の床を、隣で女同士で抱き合っている芸者衆に見せて、一度に3人の芸者衆を昇天させてしまうのです」
「そんな! 抱いている芸者衆は一人なんでしょう?」
修二は、絶句してしまった。想像を超えていたのである。
【建前社会とは…社会編】本音を読めないとKYな人
日本は建前(たてまえ)社会だといわれている。したがって、日本人として生きていくためには、この建前社会とは何であるかを知らなくてはならない。
ところが、意外なことにこの建前社会が何であるかが意外と知られていないのである。
たとえばギャル語と呼ばれる若い人の言葉に、KYというのがある。「空気を読めない」という意味だが、最近はSKYというのまである。これは「スーパー空気を読めない」で、チョー空気を読めないという意味である。
問題はどうしてこの言葉が、ギャル語となって瞬く間に雑誌のタイトルに使われるほど社会に広がったのか、社会に受け入れられたのかということである。
実はこの言葉、日本の建前社会に対する若者らしい反逆性を持っているのである。
「空気を読めない」というのは、一般的にいえば、「場の空気を読めない」ということで、対外的な主義とか方針、つまり社会の建前を読めないという意味になる。例えば上司が顔を出している同僚の歓送迎会に遅れて出席し、私的な話ばかりをしていると、「あいつは、場の空気を読めないやつだ」ということになる。
しかしギャルのKYは、こうした場面ではあまり使わない。この使い方は、おじさん型というか、建前優先型である。
ギャルは歓送迎会の流れで二次会になったとき、せっかく合コンのいい雰囲気になってきたときに、会社や仕事の話ばかりをしているやつを、「空気を読めない」つまりKYと評するのである。この使い方はギャル型、本音(ほんね)優先型である。
つまりKYという言葉は、何かにつけて建前が優先する日本の大人社会に対する痛烈な皮肉なのである。
それを知ってか知らずか、建前優先型でギャル語のKYを連発しているおじさん、そう、あなたのことです。あなたのような人をKYと呼ぶのが本当の使い方なのです。日本の建前社会は、奥が深いですなあ…。
魔性の探究;27 六本木の迷路
第四章 魔性戦争
Ⅲ.六本木の迷路
逆視姦の魔性をもつ前川香菜の自殺を、彼女の魔性フレンドで資産家の御曹司(おんぞうし)、長田順三の興味本位の裏切りではないかと疑うリリーの心痛には、それなりの説得力があった。
視(み)られたいという逆視姦の魔性を、限りなく刺激を求めてエスカレートさせていくと、それは危険なプレイになる。視姦者、つまり視てくれる人を、次から次へと替える必要があるのだ。知らない人に視られれば見られるほど刺激は増してくる。
本来なら、視られるほうが魔性なら、見るほうも魔性である。
しかし現実には、見るほうは必ずしも魔性である必要はない。覗きの興味は、一般人にも普通に備わっている。視姦は、広い意味で覗きの範疇である。
もともと視姦と覗きはまったく別物といっていい。魔性の中には、視姦の魔性もいれば、覗きの魔性もいる。しかし、その内容ははっきり分かれている。
視姦の魔性は、相手の身体に触ることなく眼で犯す。相手にいやらしさや淫らな視線を感じさせるが、基本的には自分の想念の中で相手を犯しているのだ。
これに対し、覗きの魔性は相手の魔性をこっそり窺(うかが)って悦にいるもので、必ずしも性的なものに限定されない。いうなれば、他人の人生の秘密をこっそり窺がうもので、性的なものに限定されないところから、「覗き趣味」といった言い方をして一般性を認めている。
「覗き趣味」ではなく、あえて「覗きの魔性」といった場合には、きわめて性的なものが対象となる。他人の人生の秘密のうち、性的なものを対象にするのが覗きの魔性で、その最高のものが、他人の性行為ということになる。
ただ一般的な「覗き趣味」でも、その最高のものの一つが他人の性行為であることは確かで、ここで一般の覗き趣味と魔性とが混同してくる。つまり覗きは、性的なものに関する限り、一般の趣味も魔性も同じだということになる。
話を自殺した香菜の視姦の魔性に戻して、彼女の逆視姦は、視られる魔性である。
しかし同じ視られる魔性でも、露出の魔性ではない。露出の魔性は、別名ヌードの魔性ともいい、隠していた内部をむき出しにする魔性である。
これに対し逆視姦の魔性は、隠していた内部をむき出しにするわけではない。むき出しにすることに意味があるわけではなく、あくまで視られることに意味がある。
いやらしい視線で犯されるのである。逆視姦の魔性は、この視線に快楽を感じる。
そして実際の性行為でも、相手のいやらしい視線を感じながら犯されるのである。そして、やがてそれは、犯されているところを視られたい──、という衝動に変わっていく。
しかも視られることに主体があるから、その対象は抱かれる相手だけに限らない。抱かれて犯される自分を見てほしい……。逆視姦の魔性の欲求は、貪欲に視られる欲求、覗かれる欲求へとエスカレートしていくのである。
「世の中には、覗き趣味のいやらしい金持ちの男がいくらでもいますからね。香菜ちゃんの相方(あいかた)だった長田氏が本物の魔性だったかどうかが重要になってくるような気がします」
修二は、率直な感想を口にした。
「長田さんの素性については、ジー・ボックスの勝村社長にも調べていただくようにお願いをしています…」
「魔性の男軍団のリーダーですよね、勝村さんは?」
リリーの話に、修二はすぐに反応した。
「修二さんは、何でもご存知なのですね」
「そんなことはありません。たまたま、勝村さんとは仕事でつながりがあって、そのうえ広尾のバーで一度お会いしました」
そういいながら、修二は横に座っている千里を見やった。このバーで、彼女と最初に出会ったのだ。
あの夜、修二は綾と一緒に千里に会いに行って、勝村とも偶然、出会ったのである。
「広尾のバーでしたら、勝村さんのお店ですわ、きっと」
リリーは勝村の動向に精通している感じであった。
「ええ、勝村さんが自分でオーナーだといっていました。その勝村さんの秘書の方から聞いたのですが、香菜さんの殺人事件は、自殺ではなくて失踪事件だと…」
修二は香菜の自殺の顛末をリリーから聞いて、疑問に思っていたことをたずねた。
「秘書の方って、木田直樹さんでしょう。あの方、社長のスキャンダルだから香菜さんの件は自殺ではなく失踪事件にして下さいっていっているんですわ、きっと」
「あ、そういう意味で失踪事件っていったわけですか」
修二は合点した。
「それに…」
リリーが言いにくそうに言葉を継いだ。
「それに?」
「ええ、それに失踪事件もあるんです」
「えっ?」
思わず、修二が聞き返した。
「双葉涼子って子がいまして、この子の行方が分からなくなっているのです」
「行方が分からないって、いつからですか?」
「それがはっきりしないんです。少なくても、私たちが探し始めてからは消息がつかめていないんです」
「それは、いつですか?」
修二が身体を乗り出した。
「あの子が自殺をして、それで同じ逆視姦の魔性を持っている涼子ちゃんの話を聞こうと思ったら連絡が取れなくって…。それで調べてみたら、田舎の親御さんに教えているアパートにも戻っていなくって、行方不明になってしまったのです」
「警察には?」
「親御さんに言って…、もちろん届けたようです。なんでも失踪事件は7年以上生死不明の場合で、これは単に行方不明だと警察にいわれたとか何とか言っていました」
リリーにも、警察に届けたという確信はないようであった。
「この行方不明は、香菜ちゃんの自殺と何か関係があるのでしょうか」
尋ねながら、修二はカウンターにビールの追加を頼んだ。
「それを糸口に、修二さんに調べて欲しいってリリーさんは言っているのよ」
千里が、リリーに代わって答えた。
「涼子さんは、いくつになる方ですか?」
「まだ、21歳か22歳だと思います。六本木のクラブに勤めてますけど、本職は大学生なのです」
リリーが話しながら、カウンターから新しいビールグラスを運んできた。
「学生さんですか」
修二が、少し驚いた声を上げた。
「最近は珍しくありませんわ。銀座とはちょっと違うかも知りませんが、六本木のホステスさんは、若くてある程度会話のできる子が求められますから、学生のアルバイトや中退したような子が結構いるんですよ。銀座はOLさんのアルバイトが多いって言いますね」
「そういえば銀座のほうが年層が高いような気がしますね」
修二はリリーの話に相づちを打ちながら、早くも涼子の行方を捜す方法を考えていた。


